もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

Sat,Jan 22nd②

(①の続き)

 新緑色の都営新宿線に乗る。聞いたこともない駅とよく知っている駅がつながっている。

 幡ヶ谷は初めて訪れた時、既に何度も訪れたことのあるような気持ちになった。目的としていなかったのに気付けば幡ヶ谷に来ている、みたいな不思議なことがそれからもう何度も起こっている。

 幡ヶ谷駅周辺は首都高が空に蓋をしていて、甲州街道には切れ目なく車が走っている。駅前はテレビで見る遠い国の市場のようにとてつもなくゴミゴミしている。その雰囲気は生まれた時に住んでいた大阪・森ノ宮にどこか似ている。森ノ宮阪神高速が空に蓋をして、ずどんと大きな中央大通には切れ目なく車が走っている。

 目的のお店まで歩く。突然お店は現れる。パタゴニア、ニット帽、ショルダーバッグなどのヘビーデューティな装いのお兄さん達がコーヒーを啜る。少し並んでからコーヒーを飲む。僕は思うのだけれど、歪な形をした陶器のマグカップはコーヒーがすぐに冷めてしまう。

 隣に座った客は駅でその服装とカバンを見た時から目的地は同じだろうな、と思っていた二人組だった。(青のヌプシ、真っ赤な何か、蛍光グリーンの小さなバッグ)その二人が何やら交通事故に遭った、入院は3、4日だけ、ずっと点滴が、なんて聞き耳を立てずにはいられない話をしていた。

 店を出て、ビルと小学校の間に開けた狭い空はさぞ西日が綺麗なんだろうなと思わせるそれであった。そのまま西へ西へ行けど空は開けてこない。都心部はそもそも空を見せるために発展したわけではないことに思い当たる。むしろ空をできるだけ人々から拝借しながら発展しているのだ。東の方角にそびえ立つ大きなビルの側面に西日がぶつかって、そこがエネルギー源であるかのように煌々としている。ほら、都市は東にだって夕日を落とせる。

 自転車を借りて都心をサイクリング。幡ヶ谷から表参道を目指すと思いがけず代々木八幡のあの橋に!(脳内にPresenceのイントロが流れる)奥渋にもそこからすぐで、土地勘なんて経験の集積だろ!と思う。

 渋谷のハンバーガーショップ、隣の客はカルテット、弦楽器かついだ女性4名。「予約してこれ?」なんて言っちゃう。聞こえちゃう。スケボーのムービー見ながら気だるそうに紅茶ハイ飲んで、耳はそっちに釘付け。

 東京は街・ビル・スポット、「何か」である場所が多い。だからこそ何でもない場所も無数に存在して、人々はそこへ簡単に姿を眩ますことができる。

 「何か」である人がやたらとスポットライトを浴びる。自分も「何か」だよな?と思ってSNSにログインする。幸いなことに(怖いことに)自分も誰かにとっての「何か」だったりする。すぐに「何か」になれるから、何でもない状態に恐怖心が湧いてくる。

 人と人との関わり全てに意味を付けようとしたことで、何でもない関わりはほとんどなくなってしまった。そして今度は「何でもない」を売りにしている。意味なんて、言葉なんてほんとは全然要らないと思う。だって役立たずだし。

 渋谷から原宿に向かって自転車を走らせている時、今まさに走っている道の、向こう側の歩道で人が立ち話をしていた。その場所の何でもなさ(説明/特定のできないこと)に胸が熱くなった。そこはきっと自分が今度近くまで行っても確信を持ってここだ、とは言えない場所だ。特定された、名付けられた「何か」ではなくて、その時心にぽっかり浮かんできた朧げな気持ちだけをたよりにしてみる。少し勇気を出して。(おわり)