ムシキングをやりにローソンへ、はたまたオートバックスに併設されたゲームセンターへ父が連れてってくれる時の気持ちを僕はまだ思い出せる。
小沢健二の僕らが旅に出る理由を聞けば、とてもとっても寒い多摩の冬の、身の冴えるような澄んだ空気の中を自転車でぴゅーっと切って走ったを思い出せる。僕はあの凍えるような寒さの中、かじかんだ足を靴下に仕舞って洗面所へ行き、パンを焼きながら歯磨きをしている時間が大好きだったんだわ、と気付く。低い陽射しはカーテンを力無くすり抜けて、結露を影にしてぶつぶつとした模様を作り出す。それからブランケットに足を突っ込んでラヴィット!を観る。朝のぎとぎとクイニーアマンは血糖値をぶち上げて、また危うく瞼を閉じそうになる。ノースフェイスのダウンに袖を通して、自転車にまたがり、坂の多い多摩をにゅるにゅるっと奔走する。ジムへ、それから、いつものカフェへ、そしてバイトへ。あの冬に10回は繰り返したルーティンを思い出して、あたたたかいきもちになっている。帰ったらカフェの店員さんと釣りに行きたい
それにしてもあのカフェでは不思議なことがたくさん起きた。道すがら聞いていた音楽が店に入ると流れているなんてことはままあって、その都度思い入れは増した。これはお客さんが作ったプレイリスト、そういえば君と同じ大学、同じ学部だ、なんて話になる。ともかくそういう縁とか巡り合わせ(これらも僕の縋りついていたい言葉のひとつだ)があの縁もゆかりも無かった多摩で僕に降り注いだ。
流れ星がマシンガンのように降り注ぐ夜、僕の部屋にも届くラブリーな光 - やじるしにならって!
思い出せること。何かの香りが思い出をつれてくること、そういうものに包まれる時間の愛おしさ。