日記⑤

5月24日

中学2年の頃からライブハウスでライブを観るようになった。あの頃は邦ロックという言葉が生まれ、盛り始めたような時期で勢いがあった。次々に新進気鋭のバンドが現れては箱のキャパを増していき、14歳だった僕は大きなカルチャーの渦の真ん中で静かに熱狂していた。その時のことを思うと、自分の中身の変わらないことに気付く。例えばライブハウスでモッシュをするのは、客観視が入ってたまらなく恥ずかしかった。片腕を上げるのにも勇気がいった。「心、動かされてもうてますやん(笑)」の視線が痛くて、邪魔で、音楽の楽しさが突き抜けることが無かった。その上うちの父親ときたら最悪で、一度一緒にライブに行った際、僕が手を挙げてリズムに乗っていると(手を挙げないとなると逆に手持ち無沙汰になる)、帰宅後母親に「手挙げてリズム乗ったりすんねんで、俺は恥ずかしくてようやらんけど孝之はちゃうねんなぁ」なんか言ったもんだ。その父にこの子ありなのである。それ以来無闇に音楽に乗るのをやめた。知り合いとライブに行くことも減っていった。フェスにもよく行ったが、縦横無尽に会場を走り回り、より多くのバンドを一目でも見ようと奔走する友達を横目に、僕は夏の野外の暑さにうんざりしていた。冬に2日通しで行ったフェスでは2日目の夕方、こたつの中で寒気がしてトリを見ずして帰った。「危な!」と思った。家に帰ると38度を超えていた。(危な!)僕の諸問題の根源は単に体力の無さに起因していそうだ。ただ、その冬のフェスでのSuchmosやHomecomingsの奏でる音楽との出会いがその後の音楽観をくるっと反転させたのだ!

 

5月25日

坂元裕二は「です/ます」のセリフ、言葉遣いが上手いなあと思う。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の中で、きほちゃんが練に送ったメール、僕の見てきたドラマ史上一番心に残っているなあ。いつも報われずにいる人が一定数いて、だからこそ報われる人もいて。日向があるから日陰があるし、日陰が無いと困ることもたくさんある。

 

5月29日

コーヒーチェーン店で作業をしていた。この街は学生が多くて、互いを品定めするような目線がいつも飛び交っている。学生のカップルが店に入ってきた。見たところカップルのどちらかが一人暮らしをしていて、そこを愛の巣窟としてるらしかった。飛び交う目線の一端を自らが担っていることにうんざりしてまだ半分近く残っている飲み物を捨てて店を出た。コーヒーチェーンの店員が少しのミスで(というか美味しく飲めるという点では一つもミスはしていない)飲み物を重力の赴くまま、いとも簡単に捨ててしまうシーンを思い浮かべた。満足いかないことが続く1日になる予感がした。

何かを買いたくて衝動的に街へ出て、ATMで2万円を下ろした。手数料がかかる日で、これだから嫌だなあと思った。そこで気持ちは萎えて何も買わなかった。

 

6月1日

「ということで残念ながら、ジャルジャルはここで敗退でございます!そして!現在3位のとろサーモンが最終ステージ進出です!」

2017年、僕は高校2年生を生きていて、持ち運び式の小さいテレビでM-1を録画し、次の日、友人と実家でそれを見たことを今でも鮮明に覚えている。主人公性を持つコンビはいなかったが、ラストイヤーながら初出場のとろサーモン。和牛、スーパーマラドーナジャルジャルかまいたちといった実力派。今からすれば当時、歴史の幕を開けていたマヂカルラブリー。その上ミキ、カミナリ、ゆにばーす、さや香などの若手のホープも登場して見応えがあった。昨今のお笑いブームの到来を予感させるような、若手からベテランまで、様々な形で、力ある漫才が見られる近年稀に見る好大会だったように思う。

当時の僕はスーパーマラドーナと、とろサーモンの漫才を繰り返し見た記憶がある。スーマラ田中のビジュアルは哀愁や狂気を漂わせ、武智のツッコミのワード、強さも気張りすぎてなくて丁度良く、田中のキャラに頼り切らず伏線回収までするという、二人の見た目からは想像できない技巧派の漫才は何度見ても面白かった。そしてより衝撃だったのはとろサーモンだった。M-1はラストイヤーと初出場をやたらと強調する。スポーツ選手の去就のように引き際の美学のようなものが誇張されエンターテイメント化される風潮がある。初出場に関しては、本来M-1が若手漫才師に向けた大会であったことから、初物に注目が集まる上、審査上似たようなフォーマットで連続して勝ち上がることは難しい。また、テレビでネタを良く披露する芸人のネタは、「この展開ね」とバレてしまうこともあり、(この俺の天賦の才がバレる!)M-1の色に合わなくなってしまうのだ。だからこそ初出場への注目は必然で、複数回出て優勝することが難しくなっていく。この年のとろサーモンもそうだった。実力は認められていたものの決勝の舞台に駒を進めたのはこの年が初めてで、「初出場・ラストイヤー」という二つの看板がのっかっていた。ボケの久保田の服装は赤いズボンに黒のジャケットというオールドミッキースタイル。今でこそおしゃれでブランド好きなイメージがあるが(無いか)当時は変な服着てる奴でしかないのである。(前年に正統派しゃべくり漫才銀シャリが優勝していることももはや伏線のように感じられてきた)そういうコンビがネタを披露する時、客は何を思うか。「15年間、何しててんやろ。」という少なからぬ好奇の目がそこにはあったと想像する。そうした不審さを持った客の前に二人が登場し、ネタを披露した。

 

村田「どうもこんばんは、とろサーモンです、お願いしまーす!」

久保田「僕もそうです」

村田「分かっとるわ、分かってるから来てるからね、ほんまにね」

 

このたった4秒ほどのツカミで客は確信した。「あ、やっぱり変なやつや」と。その次に、村田の「秋が好きだ」というトピックに久保田は次のような持論を持ち出す。

 

久保田「周りにこういう人いません?春になったらいいよな、桜見に行こうか。秋は紅葉やな、紅葉見に行こう。夏は?泳ぎに行こうや。冬は?スキースノーボード

 

 

 

雨降ったら終わりですからね

 

ドッカーンである。正真正銘のドッカーンがそこにはあった。M-1の別名はドッカンバトルでいいと思う。そうしよう。その日一番のドッカンを起こした組が一夜にして夢を叶える。紳助やオール巨人が時々言っていた「今日は爆発がまだ無い」というのはこれのことなんだ、と実感して鳥肌が立つ。翌年2018年の霜降り明星も10組中9組目に登場し、「ボラギノールのCMか!」で大ドカンアーイだった。

久保田の独特な人柄に村田の強いツッコミ、何が繰り出されるかわからない、一寸先の見えない漫才は不安で、だからこそ客の持つ"漫才のセオリー"をとことん裏切ることができて笑いの量は尻上がりに増えていった。1stステージ3位からの優勝、和牛が優勝に最も近かった大会の一つだと思う。

M-1は今や大きすぎるほどの影響力を持ち、権威のある大会となった。そうした緊張感の張り詰める環境で、その日一番のドッカンを起こすのには実力以上に出順やその日の客層などの運要素も大きい。人が立ち話をして、それを聞かせて笑わせるという演芸自体の不安定さと、当日の順番など、不確定要素が多いからこそ、そこにドラマが生まれるのだ。

日記④

5月21日

下北沢に行った。しばらく行かないうちにどこか虚しさを感じる街になっていた。消費される音楽、ファッション。古着屋店員の知識や熱量が"アパレル店員"をファッションにするにしても些か脆く、もどかしくて淋しい気持ちになった。今、こういうの着とけば/聞いとけば?という無難のスタンスが文化を退廃させる。

その人にしか出せない音、その人にしか出せないその人らしさなんてものが消え失せそうになっていく。良いも悪いも薄くて厚い。

 

5月22日

この社会で必要とされること/されないことで人の価値みたいなもの(そんなもの存在しないのに)が評価されることがこの先もずっとテーマであり、ずっと疑問だ。例えば、表現者(画家に写真家、文筆家etc...)の才能はこと日本において軽視されがちに感じる。(僕自身、本当に残念なことで、遺憾に感じる)そもそも才能を才能として評価されづらい。『こんなの俺でも描ける』と軽々しく言ってしまえるのは、心底では必要の無いものだと見下しているからだ。(分かろうとしないうちは分かれないのに、"分からない"で片付けるうんこちゃんたち)そういうことを軽々しく口にするうんこちゃんに限って、他人に平気で自信持った方がいいよを押し付けてくる。この社会に必要とされているスキルをそれほど多くは持ち合わせていない(或いは段階的に破棄した)ため、スキルの多い人の前では自信が無いように振る舞い、自信がある人を自信があるね〜強いな〜と囃し立てているだけで、例えば娯楽を目一杯楽しむことや、思索にふけることに長けていて、そのことについてそれ相応の自信を持っていたとしても、競争競争!の精神で生きてきて、勝利こそが自信に繋がる主義の人たちのものさしでは到底測りきれないので、結果的には自信が無い、とみなされる。社会の多くの場面でスポーツ経験が優遇されるのは、競争をくぐり抜け、自信を持つことこそがより良いという状況に慣れているからだ。そしてそれをチームで共有するからこそ、そのチームは伸びるといううんこちゃん組織論によるらしい。人より数字が上である必要があると決めるのはなんなのか?自分が豊かだと感じる生活を送ることで人に勝つ・比べる必要はあるの?でも綺麗事を並べても生きるには金がいる、うん、そう。だから悩みというのは抱くもので有り得る。普通に、暫くは。

P.S.例えば『絵や文字をかく才能』や『人の話を聞く才能』は逆説的な才能なのかなと思う。本当は(ごく一部の天才以外には)必要無い、という接頭語がチラついていて腹立つ。社会は数字(お金や人望)で測れるものに頼る。『色んな人が注目するから良いものみたいになるの、もうやめな〜?』(心のゆきぽよ数字に頼らなあかんくらいのちっぽけな自信やないけ〜!

 

5月23日

眠らなかった。時計は午前6時を指していて、『愛がなんだ』を見始めた。あまり好きになれないと感じるや中断。少し眠った。午後、BOOKOFFに20冊ほど本を売りに行った。超えるかなあ千円、と目論見を付けて、千円を少し超えた。何かを売った後は、無駄な出費を極端に抑えたくなる。いいこといいこと。河川敷で小学2年生くらいの子どもが水遊びをしていた。明るさだけで圧倒しない曲を、今日は聴きたい。雨続きの日々に一日晴れた日が訪れた、気持ちはそれだけですこぶる良くて、足に登った蟻を振り落とさず、降りていくのをただ見てた。

 

恥ずかしい それはかっこいい

いまのわたし 甘い砂糖と苦いグレープフルーツみたい

(カネコアヤノ「グレープフルーツ」)

 

日記③

5月17日

どうしようもなく気だるかった。15:30から昼寝を開始して、目が覚めると17:30になっていた。自分がどうしようもない、ダメ人間に思えてくる。生活を中断していた2時間を取り戻すかのようにそそくさと準備をして散歩に出た。足取りは地元の古本屋へ。文庫本よりハードカバーの方がいい。入るカバンを選ぶし、重くて読みづらさもある。ただ、そのあらゆる無骨さに安心感と説得力を感じずにはいられないのだ。そして、文庫本の定価がおおよそ600、700円であるのに対し、ハードカバーは1500円から2000円程する。それが古本屋に並んだ途端、足並みを揃えた価格で手に入るのだからお得感のおまけ付き。というわけで、『1Q84』のBOOK2とBOOK3(定価1800円と1900円)をそれぞれ300円で手に入れることができた。満足満足。

 

5月18日

"片想いを長引かせないのが楽しく生きるコツだもん"

(『大豆田とわ子と三人の元夫』#6)

 

タイミングだとか、運だとか、都合の良い言葉は探せばいくらでも見つかりそうなものだけれど、その作業はたかだか突貫工事で、次にいくためには、無理なものは無理なんだ、と朝昼晩のご飯と一緒に少しずつ飲み込んでいくしか無いんやと思う。

 

5月19日

昔からの友人は今の自分が形成された過程をそばで見守ってくれていた(そして私も見ていた)という安心感がある。今の自分に至るまでに、紆余曲折があり、完成品のように見える現時点の自分も、常に矛盾を孕んでいること。大きくなってからできた友人のそれは、分かってあげられそうで、なかなか分かってあげられないものだ。

誰しも成長するにつれ、現時点の自分を完成品のように見せるスキルが身についていく。自分の中で地盤の固まっていないところをいかに隠すか。

大人になるって『隠せる』ようになることだと思う。

 

5月20日

"普通"は無いとしても、”平均”は計算で出すことができる。普通の人・普通の生活、は無くとも、平均的なそれはあるかも知れない。平均年収、平均寿命、平均初婚年齢。平均の人、平均生活、平均幸福……?

 

 

日記②

5月6日

 昨夕、橋本の映画館で一本映画を観た。『ミナリ』という、韓国からアメリカに移住した一家の物語。内容は概ね良かった。(韓国人に特有のように思える、哀しみ、憎しみ、怒りの矢印の強さと速度はいつも少しだけ後ずさりしたくなってしまう)韓国人の出演する作品でいつも感心させられるのは子役の演技。上手い/下手で語るにはいささか申し訳なさすら感じる、彼ないしは彼女の奥行きに感心させられる。今作においては一家の息子役であるアラン・キム君、現在九歳、そして今作がデビュー作。驚嘆。観に行かれてみて。

 

5月7日

読んだ後、しばらく心にわだかまった一節。

 

「私は思うんだけど、この世界ってさ、理屈も通ってないし、親切心もかなり不足している」

「そうかもしれない」と青豆は言った。

「でも今更取り替えもきかない」

『返品有効期間はとっくに過ぎている』とあゆみは言った。   

村上春樹1Q84新潮文庫

 

5月8日

大学の講義の中で、恋人と夫婦との違いについて触れた。

恋人という関係は一方的な告白に始まり一方的な別れを告げて終えることができる。夫婦は?社会にはルールというものがある。

 

恋愛のスタートラインに立った時、終わり/別れた時のことは考えない方がいい、とよく言う。確かにそうかもしれないが、一目惚れした白いTシャツ、あるいはアイボリーのトートバッグを買うか迷っている時に、ふと"汚れ"について考えを巡らせることとなんら変わりないと思う。恋愛の終わりについてはタグの洗濯表示を確認するように考えてしまうものだと思う。

 

5月9日

僕はいつからか、いい人になろうと努めていたように思います。"人にされていやなことは人にしない"、と小さい頃言われたことが無意識のうちに信条のようなものになっていました。ただ、よくよく振り返れば人の顔色を常に伺い、人の良いところも、あまり良くないところにも目のいく人が、いい人であり続けられるわけがありません。少なからぬ人から反感を買ったことがあります。(担任や顧問の先生とうまくやれないタイプでした)人がされて嬉しいことを思いつくということは、反対に人がされて嫌なことも同時に思いついている場合があります。後者の方は思いついた時点で既に少し手遅れなのです。前者を選ぼうと強く意識してきましたから、概ねオートマティックに前者の行動をとるような仕組みになっているような気がします。これはもう生まれつきとしか言いようがありません。

(そういえば、弟が誕生した時、僕はいきなりほっぺたを有り得ない強さでつねったそうです。そうだった、そうだった。)

自分らしく生きると周りからはみ出るだろう、だから自分を常に正常な状態にしようと、抑えつけながら生きている感触が確かに生まれてからずっとあります。そんな大袈裟なものではありません。社会の中で生まれたのではなく、生まれてからどうにかして社会に入れてもらわなければならない、という感覚です。社会は"しなきゃならない"ことが多い。おやつの我慢、お片付け、お風呂、から始まって、仕事や納税。特殊な例で言うと優しさを持って叱るだとか、終活だとか。自己中心的に考えていては生きていけません。その上、生涯をかけて生きがいを見つけろ!というミッションが課されています。それを持たない人は芯がないだ、ちゃらんぽらんだと揶揄されるような風潮。

また『気にしすぎ』で一蹴できる駄文を書いてしまいました。

 

5月10日

今日は朝から録画していたドラマを見て、その間に洗濯機を回して、昼からはまた橋本へ出かけた。2回目の『花束みたいな恋をした』を観た。1回目とは違って『『普通になるのって難しい』』というセリフが胸に残った。

 

5月11日

つまるところ僕には"厄介を避ける"というモットーがあるらしいことが分かってきました。厄介ごとをすること/されること、厄介な人と関わること/(自分がそう)思われることをとにかく避けたいらしい。そんなのあなたに限ったことではない?確かにそうかもしれません。ですが、世の中には恐ろしいことに厄介ごとを好む、厄介な人(特に女性に多いような気がします)が一定数います。(その人たちが最も繁殖しやすいのは井戸端でしょう。)僕が他人の内情に首を突っ込む厄介な人になりたくないと思うのはもちろんですが、それ以上に、後から振り返るとあれこれ言っている自分はどうなんだと虚しい気持ちになってしまうようなところがあります。お酒を飲んで口を滑らせた帰り道の街灯の明るさでハッとさせられ、いつもほんの少し後悔をしています。

 

5月14日

2日間、書く間もないほど忙しかった、わけではなく、これといったことは何もせずに過ごしていました。

今日はというと、随分久しぶりに都心へ出ていきました。有名人を4人も見ました。東京はすごいと常々思っていますが、これほどまでまざまざと見せつけられたのはこれが初めてではないでしょうか。

 

日記①

2021年5月1日 

勝手に繋がるコンビニの雑魚Wi-Fiや、頑なに開こうとしないレジ袋。円滑な日々の邪魔をするものはこの世に溢れていて、反して味方をしてくれているもの(例えば定刻通りに発車する電車や、近付くと開く自動ドア)にいちいち思いを馳せるほどの暇はない。それどころか、16:37発車予定の電車の発車が、定刻通り過ぎるが故に乗り遅れた時(16:37:50発なら乗れたのに!)や、急いでいる時にほんの少し開くタイミングが遅く感じる自動ドアに時に小さな怒りさえ憶えている。文句多い?ええやつぶんな!

 

5月2日

昔から考えすぎだとよく言われてきた。"僕が考え過ぎ?ならあなたが考えなさ過ぎでしょ"、と思ってきたがどうやら僕は少し考えすぎるらしい。こういうことを語るとしばしば自己肯定感が低い人だとか自信がない人だとか周りに言われるのだけれども、どうもそういう感覚は自分の中で腑に落ちない。自分の中に肯定できる部分はもちろんある、ただそれと同時に「肯定していても大丈夫なのか?」と思えてくる。(良いように言えば思慮深くて、現実的。悪く言えば……言わないでおくか…。)百点なんかこの世のどこにもなくて、僕は仮に入学試験で満点が取れたとしても「問題が違うかったら落ちてたなぁ…あの単元が出たら落ちてた」と考えてしまう。それが何かに集中するときのモチベーションになるのだが。

 

5月3日

「言葉が人を作る」と初めて聞いたのは小学生の時分。人間は持ち合わせた言葉で感情や事物を区分し、認識する。じゃあ言葉が多ければ多いほど…どうやらそういうわけでも無さそうだ。同じ言葉を発していても人によって違うぞ、というのが最近のパラダイム。同じ言葉でも、言葉に深みや厚みの出る人。本やドラマの中でたくさん出会えます。

 

5月4日

大豆田とわ子と三人の元夫#4にこんなセリフがあった。以下引用。

  "じゃんけんで一番弱いのが何か知ってる?"

 グーチョキパーみんな一緒でしょ?

  "じゃんけんで一番弱いのはじゃんけんのルール

がわからない人。私にはルールがわからない

の。会社員もできない。要領が悪いっていって

バイトもクビになる。みんなが当たり前にでき

ていることができない。私から見たら全員山だ

よ、山、山、山、山。山に囲まれてるの。あなたは

違うでしょ。"

 

みんなが当たり前だと飲み込めることが飲み込めない。まあ"みんな"にとっては定刻通りの電車や自動ドアくらいのものなんだろうけど。

 

5月5日

生きづらいと感じる理由がようやく少し分かってきたような気がする。それはおそらくこの社会が"外向型人間"を理想としているから。リスクを冒せる人、素早い判断ができる人、集団を得意とする人を理想としている。どんな人とでも分け隔てなく素の自分でコミュニケーションを取れる人、「自分の存在を誇示する」ことを心地よく感じる人が理想とされている。逆に、内向的、つまりは生真面目や内気といった性格は劣っているものとして"この社会"ではみなされる。(研究者と聞くと、堅くて、社会から少し離れたところにいるように感じる)この社会でキャリアを高めるには、自信に満ちた姿勢でオフィスを闊歩し、自分を誇示し、売り込む必要がある。それができない人は使えない、結果を出さないとみなされる。

僕が常に何をやってもうまくいかないと感じているのはこれが原因だったのかもしれない。自分を誇示することがあまりにも苦手なので。いつも過小評価されているように感じるし、かと言って自分を大きくは見せられない。だからこうして文字にするしかないのだ。(過小というのは"実際よりも小さく"という意味で、決して本当は大きいのに小さく評価するという意味で用いてはない)

 

僕にはわからない、ダンスパーティーが。

僕にはわからない、どうして考えたことをそのまま口にするのか。

あなたにはわからない、どうして世間話ができないのか。

あなたにはわからない、"わからない"ということが。

僕たちにはわからない、何も。

 

 

 

ドラマ剣#1

 

『大豆田とわ子と三人の元夫』4/13(火)21:00〜(フジテレビ系列)

 坂上裕二脚本で、音楽も衣装も、伊藤沙莉のナレーションも、テレビから流れてきた瞬間に、あーこれ好きだ❕

他人との感覚のズレや、日常のちょっとした変化、うまくいかないこと、機微を独特の言い回しとテンポで展開していく、坂本裕二脚本らしさが出ててすごくイイ!

劇中のボケやツッコミって共感生羞恥を感じることが多いけど、なんやろう、この作品はとわ子のドジぶり、人間味みたいなものが松たか子とマッチしてて心地よい。

特殊な境遇を意識させるためか、元夫それぞれの描写にはいき過ぎたとこもあるように感じる。それぞれの人間味を楽しむか、そんな人おらんよ〜と思っちゃうかは見る人次第かなあ。STUTSとKID FRESINOと松たか子の主題歌はびっくりしました。都会的でイイ!毎週火曜が楽しみ❕

とわ子の娘・唄役の豊島花ちゃんが上手くて可愛い、、

 

『コントが始まる』4/17(土)22:00〜(日本テレビ系列)

『俺の話は長い』の金子茂樹がオリジナル脚本で描く群像劇。キャストの引きが強く、あいみょんの新曲を主題歌にして、昨今のお笑いブームあってかコントを題材にしており、若者をターゲットにしているのかなと感じた。

『俺の話は長い』でも感じたことだが、THE日常❕ってシーンに流れるBGMがイイ!

セリフが役者に馴染んでて、ストーリーに奥行きが感じられていい脚本やなぁと思いました。

一番感情移入できそうで、これからの3ヶ月がちょうたのしみ❕

 

『恋はDeepに』 4/14(水)22:00〜(日本テレビ系列)

主演が石原さとみ綾野剛で脚本が『おっさんずラブ』『私の家政婦ナギサさん』の徳尾浩司。ガッツリ系恋愛ドラマ。カメラのアングル、照明、韓国ドラマ意識してるのかなと感じた。(韓国の脚本家にドラマ書いてもらったらおもろそう)

海洋学者の石原さとみと、デカ会社御曹司の綾野剛が当初互いを憎しみ合うというありがちな設定。ありがちというのは見ていて安心感を与える。

ごりごりの恋愛ドラマは、筋とかセリフ、機微を描かず(意図的に排除して)豪華キャストをただイチャつかせる感が強い。テレビに数字は大事なんだなーと思う。

今回は最後の場面で伏線を回収していたが、同時にファンタジーであることも分かり(話題性ありそう)変化を付けていることも感じた。魚、、?

 

『リコカツ』4/16(金)22:00〜(TBSテレビ系列)

北川景子永山瑛太が交際ゼロ日婚を果たすものの、新婚早々離婚に向けて"リコカツ"するドラマ。製作費かかってそー!

キラキラ感や面白おかしさを描きたいのか、"リコカツ"という社会派のテーマで、特殊な境遇の人たちの心を描くのか曖昧でわからない。

そもそも自衛隊員の堅物さを"おもしろい"と感じる人がいるのか、僕には皆目見当が付きかねます。(自衛隊員が「敵から君を守れる」とか言うかなぁ、、)