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⊶アート いいものをたくさん⊷

f:id:takaabgata:20201130114417j:image↑AUTO MOAI作

 

Q.「絵なんか見て何になるん?」

以下このクエスチョンに対する僕なりのアンサーである。

 

まず、アートは大方の人が思っているようなたいそうなものではない。日本国語大辞典でアートを引くと、(1)術(わざ)技巧(2)芸術(3)「アートし(─紙)」とある。思うに(1)の意味であるところの『術、技巧』などという言葉がアートを狭義の、とっつきにくいものたらしてめているのだ。アートというものはそんなものではない。(2)芸術の例文に非常に興味深い文が掲載されていた。

「君、ライフとアアトが別々になってゐる奴は駄目だよ」森鴎外 『青年』六

さすが鴎外先生と舌を巻かずにはいられない。『ライフとアアトが別々になってゐる奴は駄目』。なるほど。『ライフ=アアト』なのである。例えば今着ているその服も誰かがアートしたものに他ならない。今横たわっているベッドも、そして今さっきまで没頭していたくだらない妄想もあなたがアートしたものにこれまた他ならないのである。

 

冒頭に掲載したAUTO MOAI氏の作品。顔の分からない少女(?)が猫を抱いている絵である。AUTO MOAI氏は『匿名性』をテーマに作品を作られてきた。顔がないことで、猫を抱いているということだけに目と心が持っていかれる。例えばこの絵に目と鼻が描かれていたとすればどうだろう。その人が誰なのかを色々と思案するであろうし、その顔に刻まれた皺やしみなどからその人の普段の生活やこれまでの人生を想像せずにはいられないだろう。そうしたものが描かれない彼女の絵は余念を抱かずに没頭することができる。

 

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岡本太郎

 

芸術は爆発だというメッセージが有名である岡本太郎氏のアートである。爆発はどこで起きているのか?それはつまり彼の体内であり、キャンバスの上であり、そして見るものの体内である。芸術の爆発は連鎖する。『幼神』と題されたこの作品には一見、上弦の半月のような黄色いものが目に飛び込んでくる。よく見てみればその上弦の月のような、黄色い横顔のようなもののすぐ左にもオレンジの頬に青い目のようなものがちらりと見える。あれだ、あれだ!f:id:takaabgata:20201130145307j:imagef:id:takaabgata:20201130145321j:image

そう。太陽の塔の中心部にデザインされた『太陽の顔』が思い起こされるだろう!

また、彼の作品にはこのようなものもある。

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彼の作品には様々な顔が描かれているが、その感情は様々である。そのときに脳内で爆発した衝動をキャンバスの上に表情や形として描くのが岡本太郎氏なのである。

 

このようにAUTO MOAI氏と岡本太郎氏のアートを"顔"という視点で見たとき、新たな味わいを楽しめることが分かった。

我々のライフは『アアト』なのであって、決して切り離すことのできないものなのである。僕の脳内で起こった爆発が誰かに影響を与えることができるし、逆もまた然りである。(インスタに投稿する画像を加工したり、服選びをしたり、それはもう自分をキャンバスにしたアート!パレットの色は豊かな方が良い。)よりたくさんのアートに触れることで、自分の中の審美眼を磨き、他人への影響、他人から受ける影響をより高度で豊かなものにすることができる。日常からたくさんのアートに触れていたい。

 

以上、Q.「絵なんか見て何になるん?」の私なりのアンサーである。

 

auto moai Instagramhttps://www.instagram.com/auto_moai/?hl=ja

 

ミッフィーちゃん∩∩