もっとわすれる!

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今日で学生が終わり明日から社会人になる!

卒業式に誰かに貰った花束を抱えて写真を撮ることも、バイト先の人たちにデザートプレートで見送られることもなかったけれど、今日で学生が終わり明日から社会人になる。

 


体じゅうの卑屈さと鼻持ちならなさをわきがのように撒き散らしながら上京した2019年4月から5年の月日が経った。今になって思えば悩めるだけの体力や純粋さがあったのだと親心にも似た気持ちで当時の自分を振り返ることができる。サークルの新歓のチラシを貰うことがなぜかとっても恥ずかしくて俯きながらキャンパスを歩いた。ユニークさの欠片も無い話をさも人生経験豊富そうに語る先輩の話をお利口に聞く自分が誰かに見られているのでは無いかという自意識に苛まれ、先輩の話を聞く自分を内カメラで隠し撮りしてなんとか崩壊しかけの自分を保った。地元に帰れば親しく話をできていたはずの友人たちがお酒やタバコといったアイテムを手にして人が変わっているように見えた。アルバイト先では完全に社員に舐められた。舌打ちをされ、クソみたいな言葉を言われて泣きながら親に電話をかけたりした。全く大人では無い中身に対してそれなりの大人らしさを求められるギャップが苦しくて深夜、散歩しながら芸人のラジオに耽った。眠るほどでもない一日にも夜があった。誰と話していてもこの瞬間がもう一度あればいいのにと思えるような時間が来ない気がしていた。誰かの行動や言動に物足りなさを感じて即席の知識で自分の傷を癒した。あらゆる大学生らしいことから逃げたかった。今思えばそのことが一番大学生らしいことだったのかもしれない。

 


大塚・帝京大学駅から少し歩いたところにある家から見えたのはあらゆるものさみしさを一手に引き受けたような殺風景な川沿いの風景だった。京王堀之内駅までの20分の道中にはブックオフやゲオ、スタバやマックなどがあった。それらの店がその時の全部で、全部の景色の中心に自分がいた。夜、決して誰とも会いたくはないけれど、不特定の誰かとすれ違わずにはいられない気持ちを暗い音楽でやり過ごしていた。

 


今でも思い出す友人が数人いる。常に寝起きのようなしまりのない顔をしていた僕に何度も連絡をくれてキャッチボールをした友達、夜まで知らない場所を連れ回してくれた挙句お家に泊めてくれた先輩、夜な夜なお酒を飲みながら映画や本や音楽のことを話した人たち、今の僕が会えば、もっともっと色んな気持ちや情報を交換できたんだろうなあと思う。それでもあの頃は色んなことが感動的でどんなことにも感傷的だった。色々なものがとにかく胸を打った。しょうがない。シド・ヴィシャスリアム・ギャラガーを心に召喚させて歩いていたような時分に近寄ってくれた人がいるだけでありがたいなあと思う。

 


ハンナ・アーレントがいうには「さみしさ」と「孤立」と「孤独」とは違っているという。「孤独」になるためにもがいていた「さみしさ」の期間があって(それは今も時々やってくる)、それは他人や自分を理解するために費やした時間のようにも思える。自分なりに色々学んだ気がする。専攻の日本文学も楽しかったけど(そんなに真面目に学んでいない)、親元を離れた東京での生活、3回の引っ越し、カナダで過ごした1年間。色んな経験を経て、少しずつ自分なりのこの社会のサバイバル方法を体得した。学んだことは、

 


自分に誤りがあること、認知にはさまざまなバイアスがあること、最善を選んだと一旦信じてみること、コントロールできない事象に気を揉まれすぎないこと、合わない人がいるということ、だけど合わない理由やその人を構成したバックグラウンドについて思いを巡らせることを怠らないこと、気分には従うこと、直感をかなり強く信じている自分をなるべく見逃さないで時々立ち止まって論理的に考えること、好きな人には手段を尽くして伝えること、人の中にはそれぞれ正解があって自分のものとは相容れないこと、人を所有することなど不可能でどこまでも他人であるということ、人の意見や考えを尊重する大切さ、自分のことをリスペクトしない人に使う時間は勿体無いこと、何かに没頭している時には嫌な思考が止まるということ、それが一種の逃避であることも時には認めること、信仰やルーティンの意味、あいさつの大切さ、時に見えないものに感謝すること、ただの偶然を時には奇跡だと呼んで誰かと喜びを共有する感動のあまりの大きさ、小さなものが持つ偉大さ、コンビニはスーパーよりも高いということ、引っ越しにまつわるエトセトラ、自然の摂理と大胆に割り切ってみること、人の胸を打つものにはある程度の類似性とそれぞれにユニークな偶然性があること、言語の神秘さ、一度犯したミスは反省をすべきであること、人に自分を舐めさせてはいけないが自分が人を舐めるのはもっといけないということ、失敗が起こる前でも自分を戒め行動に移せること、常に自分という物語を編んでいくことの大切さ、

 


思いつく限り上記のようなこと(+α)を大学在学中の五年間に学んだような気がする。これらが絶対的であると過信せずに、常にあれこれを疑って想像力を働かせていたいと強く思う。過去に書いた文章を振り返ろうなどという気にはなかなかなれないが、そこに葛藤の軌跡があるんだろう。今後ももっと多くのことを捨てて学んでいきたい。そしてさいごに、これからも「色んなことがありました」に収斂させないために、こうして書き続けていく。

 

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大塚・帝京大学駅のあの川沿い