もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

コミュニケーションを諦めない(特に余裕のある時には)

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このまま本当に学生生活は終わってしまうんだな、と思っている。何か実のあることを、何か自分をパワーアップさせるようなものをと思いながら何もできていない日々が悶々と続く。

留学から戻って3ヶ月が経ち、インターンを初め、本音で話せる友達にも寂しくなりすぎない頻度で会えているし、まあ多少就活に苦戦はしているけれど、応援したいアイドルもいるし、お金のかからない趣味もあるからこれ以上ない生活を過ごしている。

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だけど「何かをしなければ」という強迫観念から逃れることができないでいる。もう、ずーっと。映画を見なければ、読んだことない類の本を読まなければ、同じ人の曲ばかりではなくて、なんかこう、イケてる感じの、ハイカラな音楽に触れなければ、真夏でもビーニーを被ったりファミマの靴下を半パンの下に身につけた人たちが集うような場所に行かなければ、と誰かに直接言われたわけでもないインプット強迫観念が僕に「成長しないちっぽけな学生」であると思わせている。

ほんの一昨日くらいまで、頭の中に淀みがなかった。自分のことよりは誰かのことを思い、些細なことにイライラしたりせず、自分のことについて考えることを忘れて生きていられた。だけどどういうわけか今日は、Tシャツに飛んだカレーの、1㎟にも満たないシミが気になって仕方がない。本を手に取って読んでみても、なぜかそのシミが気になって、本で隠しながら読むのだけれど、意識は本を貫いてTシャツの上にある黄色のシミのことを考えてしまう。

雨の降るホームから電車へ乗り込む。車内は誰かの体内から揮発したアルコールが充満した臭いがする。頭をもたげる人、肩を組むカップル、酔った集団の声量が大きい。人と人との境目が分かりにくくなる時間。イヤホンから聞こえる音楽の音量を1、2、と上げる。通過した駅に停車している電車には多くの人が乗り込んでいる。昼に読んだ本の中で自殺した落語家を思う。f:id:takaabgata:20230717140714j:image

2 weeks later...

呼吸が浅くなってくる。スマホはいつの間にか熱を帯びている。頭の中が絡まった充電器のようになっている。あの時言った余計な一言や、あの時の不埒が突如自分に覆い被さる。何をすべきでも無いような、モラトリアムに不可避な漠然としたものからのリンチを喰らう。

感動している些細なことで 忘れないように

(ぼくら花束みたいに寄り添って/カネコアヤノ)

カネコアヤノ - ぼくら花束みたいに寄り添って / Kaneko Ayano - Bokura hanatabamitaini yorisotte - YouTube

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首都高は今日も渋滞。もうしばらく連絡を取っていない人のことを考える。空は雲もなく大きく広がる。大空や青空って誰が言い始めたんやろ、大きいし青いやろ、普通に。

曇り空に表現の幅がないのもおかしい。灰空とか、テン下げの空とか、部屋干し空とか、ドラム式に思い馳せがちの空とか、道路に落ちた靴のこっぴどく排気ガスにまみれたような色の空とか……今が晴れてるから曇り空のいい例えも浮かばへん。

どこへ行こうか 雲がひとつもない 久しぶりの天気

(愛のままを/カネコアヤノ)

カネコアヤノ - 愛のままを / Kaneko Ayano - Ainomamawo - YouTube

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コントロールできないことは無視する。レットイットゴーで、やれることをやって後はただ祈る、というスタンスを目指す。時間と自分に余裕がある時はやっているつもりで、余裕がある時には概ねうまくいくけど(うまくいくから余裕も生まれる)が、人間関係だけはそうも行かないと気付き始めている。

 

映画「怪物」のある考察動画にて、「コミュニケーションしてる以上、どっちかがどっちかを攻撃したりとか、何かは誰かのせいなんだと決めつけない限り話が終わらない。そういう勝ち負けを付けないと人間は満足できないというしんどさがテーマ」と話していた。コミュニケーションは加害性あるいは殺傷性を前提として孕んでいたんだ、とようやく気付いた。そうであるならば、誰かの言葉に傷つくこと、意図せず誰かを傷つけていたことは言葉を持つ以上ある種、避けられないことだったんだと気付くと同時に、だからと言ってこれを軽く見たり、反省しないということはあってはならないと思った。そしてポジティブな気持ちを伝えられるのもまたコミュニケーションなんだと思った。

また、一度のミスコミュニケーションによって意図せず誰かを著しく傷つける/傷つけられるようなことがあっても、その人と僕がそれまで積み上げてきたものに偽りは無い(と願う)し、生じた不和を解消するものもコミュニケーションでしか無いのだろうなと思った。大好きな小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」は「(時に傷つけ合いながらも)」が前に入ることでより真実味を帯びる。そしてそれが僕たちの"LIFE"なんだと思う。

コミュニケーションを諦めない(特に余裕のある時には)

小沢健二 - 愛し愛されて生きるのさ - YouTube