もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑥

ぽんぽんと立て続けにコンサートのチケットを二つ買ってしまった 気が緩んでいる お金を節約する 気を引き締める

 

こっちの睡眠不足のせいもあったけど あまりにもT過ぎ〜〜という発言をされ 意気消沈したので 「T型 正論bot」 「T型 こっちの気持ち」など調べて気を紛らわす(サボり時間)が3分ほどあった

 

空色の紙に貼られたような半月 上弦の月 たくあん

 

一度 他の言語を学んだ後で 日本語話すとにわかにわかる いかに己がテキトーか 言葉に意識を払わずとも どっかで聞いたようなこと どっかで既に言ったような言葉だけで会話ができるらら

 

若ちゃんが話脱線した後に「そりゃいんだけどさ」って言うの 好き

 

1時間半ほど サイクリングした 池袋行って 東京ドームまで行って 水道橋から飯田橋まで 神田川沿いを走るのは気持ちよかった

池袋でタクシーに轢かれかけた 「危ないやろ!」

東新宿では車道でジョギングし続ける人に腹が立った 「危ないやろ!」

ジジイになったら思わず口から言葉にして言っちゃうのかな

 

卒業論文を書いています。こんなふうに客観的に(誰に言われたわけでもないのに)、誰が読んでも同じように読み取れなきゃいけない文章を書いてると 人間にとって本当のことが書かれているのは 書き手が好き放題に書いたエッセイや日記なんかの方じゃ無いかと思ったりします

人間の中には偏見や思い込みってのはかなり多いことに思い当たる 自分の中のそういうものを発見するたびに 科学的な 根拠のある 文献にあたらなきゃいけないなーと思う

普段の主観的な言葉(日記やブログ、会話)ってのはいわば路上で殴り合いをしているようなもので パンチが当たれば何でもよし、なりふり構わず言葉を投げ付ければ良いんだが、論文というのはそうもいかず 用意されたリングの中で 体重を測ったり、時にはオリンピックみたいに防具をつけたりしなきゃいけない。 要は 誰も本当には傷つけないし 本当に分かり合うこともできない ということなのか(?)

拳でお互いを分かりあうってのは古くていかにも毒々しいマスキュリニティって感じもする

 

待ち合わせ5分前というのは無性にドキドキしてくる。相手が誰であれ zoomであれ

約束の時間になる3分くらい前に「着いてるで!アトレのスタバにおる」と打った文字を一度消したりする。急かしてしまうかなあと思ったりして。だから、約束の時間ちょうどになるまではLINEを送らずに目視で探したりする。あるいは、探している姿を見つけられる恥ずかしさを回避するために本を読んだりする。相手が乗ってくるであろう電車を3本分くらいを調べる。54分着であればこの出口に出てくるのは57分か、とか考えていると本は全然進まない。「着いたよ!どこいる?」と来てようやく「南口のアトレにいる!」と送ったりする。この時はなぜか標準語を使ったりして。

 

久しぶりに歯が痛くなるほど飲んだ

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