もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

Sat,Jan 22nd①

 目を開けてみたがベッドから立ち上がらないことには鳴り止まぬアラームに、ぼやけた脳でも怒りのランプがはっきり灯る。起きたときの意欲に耳を傾けよ、と自律神経について特集が組まれた雑誌で読んだので、ここのところは自然に起きぬけの意欲に耳を傾けてみているのであるが、今日のところはもう少し眠れとある。部屋の中はしんと寒く窓に結露の雫も認められず、そのまま延長睡眠に突入。

 2時間の延長睡眠の後、がばりと起き上がる。大寒とかいうらしい日が2、3日前にありいよいよ冬将軍本人も重い腰をあげたご様子。11時半、ドアをけやぶる気持ちで家を出て、宇多田ヒカル最新アルバム耳に踊らせ、階段2、3段降り、身悶えするほどの寒さに引くわ、と踵を返してタイツをズサッと腰まで勢いよく上げる。さてはてまたがるチャリに、向かうぜ駅に。延長睡眠はここへきて、果たして功を奏したように思えて心地よきガタゴト。東へ東へ、銀座を目掛けて。

 13時ちょっと前、ギャラリー58にてSquare展。様々なアーティストによる文字通り画一の作品群。一様に縦横30×30のキャンバスに表現せられた色・かたち。一様であるからこその個性、というのは養老孟司の本で読んだところの古典落語と少しつながるところあるなとふと思い。やはり個性は出すものではなく自然に発しているものだな、なんてその時思わず今こうして書きながら思っている。予定になかったDOVER STREET MARKET GINZAへ飛び込んだ。(22ssってほぼ線対称?)トレーナーを、これは買うと決めていた、ふいっ!と買った。

 神田に向かうため、メトロへもぐる。東京は地下へ上へどこへでも隠れられる。念願のジャズ喫茶。ショップカード裏面にSyphon Coffee&Jazzと書かれていたので運ばれてきたそれがSyphon Coffeeであることはわかっていたが、それでも尚、これはどうやって淹れたんだ⁈と聞きたくなるコーヒーの(最初のふた口はあまりの熱さに「あつッ」と思わず漏れてしまったが爆音で店内を支配するジャズにかき消された)あまりのおいしさ。

 店内は絶えずスウィングのジャズが支配している。華奢なコーヒーカップとソーサーのぶつかるカチャッという音もスピーカーから流れる演奏に溶け込んでゆく。ジャズの混沌として分け隔てのないさま。

 左前に座った夫婦のこちらに体を向けた夫は白髪まじり、いかにも音楽にも信条ありとした面持ちで、しかし頑ななところは微塵もなくそれがかえってダンディと言うには少し及ばない気品の物足りなさを感じさせている。そのニア・ダンディが私をチラチラと見ていた。運ばれてきたピザ・トースト。3色団子の要領で爪楊枝に串刺しにされた3粒のオリーブは皿に薄い墨汁のような染みを作っている。かけたことのないタバスコをなるべく平静を装い、いつもの所作らしく見えることに気を払いながら4、5滴ピザ・トーストの上に落とし、がじっと齧る。唇の痺れが爆音で流れるジャズの、ライドシンバルの小気味いい音と交わるような甘美な心地してそれら空間に埋没していく。

 オリーブを一粒食べて、その味の癖に少したじろいだあとで、3粒ぺろりとたいらげて粋な青年と思われるか、自らを偽る矮小さを侘しく思うか、そうした取るに足りない自意識の右往左往に苛まれた。ニア・ダンディをチラと見るに帰り支度。ここでも己の矮小さの小槌に頭をコツンと叩かれた心地。

 『人間失格』を読み終えた。実生活の思考や行動に直接作用する文章の数々。物語には完成した意味はなく、常に未完成であって、読者それぞれの独自の解釈が付与せらることでようやく完成するのだ、という昨夜見た大学の講義を都合よく拝借して、読後のこの独自の気持ちが誰にとっても不可侵なものであるぞ!と周囲から“独自“を守りたい矮小さ。

自分はいったい俗にいう「わがままもの」なのか、またはその反対に気が弱すぎるのか、自分でもわけがわからないけれども

太宰治人間失格

という一節がずっと残っている。というか、その一節を利用して生活の暗澹にようやく封ができたような心持ち。

(②に続く)