この頃は詩もメロディも潔く身体をめぐってゆきます、すみずみまで。
ユーミンが10代の頃に世に放った楽曲の数々は胸打たれるものばかりです。
『中央フリーウェイ』には都心から八王子までの道中が描かれていて、ようやく八王子に住んでいたことを誇らしく思えたりするのです。
陽が沈みゆく海のさざ波に、五線譜をゆっくり浸からせるような情景を思い起こさせる、『海を見ていた午後』は、聴くと、誰もが同じ"遠い日"を共有しているように感じられます。
ソーダ水という響きも真新しくていいね。
詩を読むと時々、ドギマギすることがある。
ほら、ちょうどこんなふうに。
詩人の身体をめぐった詩やメロディの、色や粘度がぜんぶ分かってしまうような気がするのです。
琴線が弛んでいた時期もあったような気がするけれど、今はピンッと張っているような気がします。