もっとわすれる!

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動物

いつも絡まった毛糸のような塊が頭をもたげてくる。自分は個性的か、あるいはそうでないか。いつまでも自分だけでは答えが出ないこともそろそろ分かる。人間は社会的な動物、全てのことが他人ありきだから。僕は以前、毛糸の塊のほんの一部が解(ほど)けた時に、結局動物的に(あれこれ思考せずに)行動できる人がより人間らしいのだと思うに至った。(立川談志曰く主観の強い人)これはほとんど合っていると思う。(國分功一郎氏の『暇と退屈の倫理学』もそのような結びだった。ぜひ読まれたい!)その人が没頭できるものをその人自身で獲得した、或いは外から与えられた人はある種動物的だ。動物が生きるために食う/寝る、のようにそれに没頭できるから。その上人間は思考できるので、より高次元へ高次元へと没頭できるものを高めていくことができる。即ち生きがい。見つけた・見つかっている・元から備わっている人は幸運だ。(これが仕事と一致した人はかなりかなり幸運だと思う!だから僕は就活のやり方がわからない「自分に合う」がわからないので。)そこには義務や責任が伴う。自由にはいつも責任が伴う。そこが人間的で、ものすごく尊厳のあること。英語はアップトゥーユーが多くて心無しか心地が良い。

 


僕はずっと宙ぶらりんな気がしていた。どこにいてもなんの話をしていても本当の自分はここにいない気がしたし、いつも他人を巻き込むときにはそうすべきだと思うことをチョイスして来た。その分自分とかなり向き合った。毎回ジャッジするから。すると自信っていうのは筋肉のように使う部分ばかり肥大していくので、僕は他者との間の筋肉よりも自分と内なる自分との間の筋肉ばかり発達させてしまった。これが自尊心。時折、いやいや鍛えすぎてむしろ見栄え悪ない?というボディビルダーがいるがほとんどその域だと思う。鶏肉をミキサーにかけたりするレベル。無論、何人もの人との関わりがあってその都度その人向けの分人は発達する。(平野啓一郎の『私とは何か』で語られた分人は、ざっと言えば個人は所属するそれぞれのコミュニティ・イーチパーソン、イーチホビーでそれぞれ違う自分を所有するということ。ママにイライラしながら家を出たわたしが駅で友達に会えばパッと明るくなって愚痴を始めるような。)だけど概して僕は協調性が著しく低いのか、あまりに独創的なのか、あまりに平凡すぎるのか(おのののか)、出る杭なのか、社会に適合できないのか。共感性はきっと高いから色々を信じてみてしまう。遺伝、脳の欠陥、周囲の環境、あらゆるものを疑って今の自分がここにいる。HSPADHDアダルトチルドレン、色々な言葉は僕をひとつもひとところには留めない。

 


僕は自分のジャッジにいつまでも自信が持てないので他人の書いた本を読む。賢い人。幾分高次元の領域を僕たち凡人にも分かる領域までに噛み砕いたと思われる人の本。漱石はこう言う。

 


私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当が付かない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです

私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一ヵ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見するわけにも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰鬱な日を送ったのであります。(夏目漱石『私の個人主義』)

 


漱石も同じようなことを悩んだのか、と思い当たる少し安心する。自分だけじゃ無いと分かって安心するのはみんなやんな?

 


"それで私は出来るだけ骨を折って何かしようと努力しました。"

 


大学で英文学を専攻していた漱石は、政府要請でロンドンへ渡った先でも何をしなければいけない人間かを思い当たることはできなかった。

"いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。そして同時になんのために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。"

 


漱石は結局、自分本位という言葉を発見する。他人本意で生きるのではなく、自分本意に文学の概念を一から立ち上げることが自分の仕事だと思い当たる。(これもぜひ読まれたい!)

 

ショウペンハウアーは、『読書について』の中で自分で考えろ、と言う。本を読むのは他人の思考を借りてくるだけ、多くを読むな、自分で考えろ。本なんていつもそんなもんだ。こっちでああ言えばあっちではああ言う。でも時々、自分の思考に照らし合わせて毛糸がすーっと解ける。そういう言葉はしばらく心に残る。一時の行動規範になりうる。しかし確かにショウペンハウアーの言う通り、これも他人の脳を使って世界を見直しているだけに過ぎないのかもしれない。

 


とにかく僕も動物になれる何かを見つけたい。根本的に全てを打開しうるそれを。漱石は35歳でイギリスに行った。まだまだかかるかもしれない!でももし見つけられたら本も、ましてや他人の目を気にする理由なんか要らなくなると思う。