もっとわすれる!

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日記⑩+②

9月8日

ここ3、4ヶ月の不甲斐なさときたら最低で、ひどい時には原宿の街のまん真ん中は駅東口、行き交う大勢の人々を横目に突如涙が流れてしまうこともあった。

それが今日、終わった。長い夜だった。長い長い暇(いとま)だった。ドライヤーで髪を乾かしながら、ラプンツェルの髪も乾かし終わるんじゃないかとも思えるそんな時間を今は恋しく思う。原因は、複雑怪奇(Yes!どんぐりRPG)からの「七転八倒(でも鳴らすなテンカウント〜♪)」で、今お読みいただいて分かる通り、全くよくわかっていない。

 

ありのままでも良い、というよく聞くフレーズはありのままでも良いんだよ、という反応があって初めて成り立つと思う。ありのままを否定してくるタコとの関係は切ったほうがいい。

 

今日、ある人から電話があって、それが結果としては状況がぶち開ける電話だった。どうしてこれほどまでに好転したのかは分からないけれど、時間、気温、湿度、冷蔵庫のコンプレッサーの音、全てがちょうどいい重なりをもっていたんだと思う。こんなことに二度とならないよう、機嫌の取り方をメモしておいた。なんでもかでも次に繋げようとする狡猾さがここにも出ているのです。

 

孤独と寂しさは違う。孤独は、'私'が自分自身と共にいられる状態。この状態の時、人は様々に思考し、次へ次へと周囲への求心力を持って活動することができる。

寂しさは自分自身といられなくなる時。他のことや他人とのはざまのことに気を取られて、自分自身が常にぐらぐらしている状態。

ということを文學界の3月号、國分功一郎若林正恭の対談の記事に読んだ。あの対談は本当に僕にとって革新的で、示唆的で。その中で語られた、脳への新しい刺激であるところのをサリエンシーを誰かと共有できる歓びを久しぶりに感じたいと最近強く思っている。梨泰院クラスを友達と3日間ぶっ通しで見て、徹夜明けそのまま新大久保に行った時のような興奮が久しく無いな〜(笑)

寂しさは孤独の時間を過ごし、たまに他者と感情を共有することで防げると思う、深さのない関係間の交渉は安い突貫工事だ。

 

「なんかねえ、ソワソワする。」で始まった星野源のANN。「例えるなら初デート。」詩?

星野源のラジオにゲストで若ちゃんが出た。何かのアクションを起こした時に、人に「違う違う(笑)」と指摘されることがよくあって、その理由が分からないという二人。こういうことは自分に強く期待しているようでみっともないかも知れないけれど、あえて言うならば僕も少し似たタイプの人間に思えていた。

「人生において生きているポイント、気になる・立ち止まるところが似ている」

うんうん、そうやねん。色々な経験を経て、それも一般大学生の僕なんかよりは数段高次の悩みの海の中を流れ流されてきた'大人'の二人の話は、だからこそすごくタメになるし、この世の中を敏感に、そして徐々にレジリエンスを蓄えながら生きていくための攻略本のように思えるのだ。設楽さんと3人のボクらの時代を見た時にも強く感じた。

他人と共通点があるとむさ苦しいほどに嬉しい。相手にそれをできるだけうまく言葉にして伝えたい。そして一度そう感じた相手との間に好みや感じ方の差異が現れるとひどく悲しい、僕も好きになりたいだけどなれない自分にガッカリしてしまう。でも星野源は、「人は本来違うくて、その違いを楽しむ」と言っていた。そうしたスタンスの変化は日常という舞台を丸ごと転換してくれる。

2時間の放送の枠で、7回ほど痺れた。最後のPOP VIRUSも、本当に生で聴いていて良かった〜。既に3回聴いて、刺さった言葉は書き残す。

 

P.S.久しぶりに大学受験の時に使っていた単語帳を引っ張り出してどれくらい頭に残っているかを確かめてみた。7割ほどの単語はまだ克明に覚えているし、反対にかつて覚えづらかったものは今も朧げで、しかも当時と同じ間違いかたをしたりする。ふざけんなよ、進歩無いんかい!

 

アガサクリスティと白石一文東野圭吾を読んでます。どれも面白いです。読書は3冊くらいまとめて買った時が一番最後まで読む確率が高いです。積読を否定するのはやめましょう。買って満足しましょう。読まずに床に置いてある本々に時々手を伸ばすと、買った当時の気持ちがありありと蘇る。バカだな〜でも、こんなん好きやったっけ?でもなんでもええから、過去と繋がってることそれ自体がばり大切。と言い聞かせましょう。