もっとわすれる!

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住めば都論争/生まれ落ちるという事件

はっきり言うておきます、ド表明。「住めば都」という言葉、これを盲信してはいけません、と。僕は東京に、もうすぐで丸3年になりますほどに住みましたが、まるっきりです。「住めども田舎」もあるわけです。大阪・天王寺に15年住んでから東京の多摩へ出て行ってごらんなさい。都心へは少なくとも50分。ほんでから人と人との距離もまた遠く感じてしゃあない。天王寺からやったら50分で奈良でも京都でも神戸でも行けてしまうのよ、梅田も、難波も、ちょっと駅の中走れば往復できる。それは意味ないけど。とにかく僕は大阪、この大阪の、天王寺の、全てをとにかく気に入っているのです。それはもうはっきりいうて盲信です。

店員さんも、街中ばっとぶつかった人も、泣くこどもも、それをしかる大人もみな抑揚のある言葉です。その厚かましさ、厚かましいったらありゃしないっぷり、そのすべてが僕には沁みる。しゅむ。しゅんどるわけなんです。

今日、梅田の阪急三番街エスカレーター降りてる時に、ばばばばっと音がして。横を見るとおばちゃんが階段からまさに今、転げている。短く切り揃えられた茶色の髪がふいっふいと上下左右に方向を変えながら本体は斜め下へと落ちづらそうに落ちていく。すぐに人だかりができる。7人。大丈夫ですか、どないしました、えらいこっちゃ、頭打ってませんか、痛いとこありませんか、どないしました、とまた一人。おばちゃんは肩を押さえてはいたものの、とりあえずは無事そうで胸を撫で下ろして、紀伊國屋書店で雑誌と本を買ってもらいました。

今年初読書は川上美映子『きみは赤ちゃん』でした。妊娠、という事件はとにかくどうあがいても僕にはできないこと。その辛さであるとか幸せであるとか、不安であるとかよろこびであるとか、こころがいっぱいいっぱいになる全ての、一連の、そういう事件を僕は自分の体では絶対に経験することができない。僕はその事件をかつて引き起こしたいわばトラブルメーカーであった。呑気に胎動バーっとくぐってきたんやと。首謀者であったのに、僕はこれからも決して当事者になることはできない。傍観のみ!

僕は常々、人の辛さを理解できる他人はこの世に一人もいないと諦めている。じゃあ、知ろうとすることを辞めてはならないと。知っておかないと、直面した時にどんな言葉も嘘になってしまうと、危惧してる。実態。同情することには知識とパワーが必要。そこを諦めてはならんのだと、こう思うわけです。