もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

そのときとこの瞬間

しあわせな時間がなんたるかいうのを考えて、行き着いたのは自意識の動流がぴたりと止まっている時間のこと。他人の生み出す価値をしあわせのものさしにしていると何もかもがなくなってしまうということ。影響をつよく受けすぎるから。心の赴くまま、悠々自適、これが一番のしあわせ。流れてくる欲望にチュージツに従う。内側の世界を広くしたい。フロンティア

 

いい買い物をして、届くのがたのしみ。ノベルティが二色ランダム封入で、こっちがいいってやつが届くかなー!クリスマスに届くって!

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枯れ落ちた木の間に空がひらけ 遠く近く星が幾つでも見えるよ

(天使たちのシーン小沢健二)

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人間工学という分野があるのを知って、ここの席そういえばいつも集中できるな、とか、図書館の机いつも眠たくなるな、とか、科学的に説明できるらしい。直感ももう科学だな

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けれど、ライブペインティングや、エクスペリメンタルミュージックの演奏の場に居合わせると、アーティストの絵の具の選び方、色の置き方や楽器の選択、或いは叩き方の無作為さのようなものにたじろぐ。完成品を見ることに慣れてるから?過程を見ることへのぎこちなさがあっておもろい。その場その場、瞬間即時の直感のようなものの積み重ねがみている・きいている・かんじている(笑)僕に束になって襲ってくる!

 

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ここのカレーを食べて、書いたのが次の文章。

カレーにまつわる話|たか|note

 

おばあちゃんのお店のカレーの味と、このお店のカレーの味がとてもよく似ていて息をのんだ。べろにルーがまとわりつくときのとろみだとか、鼻をぬけていくスパイスの香りが似ていて、なんだかとってもなつかしい気持ちになった。おばあちゃんのお店のはつい最近まで生たまごをわらないと食べられないほどにからかったけど、ここのカレーは健やかなからさだった。

店を出て、街を歩く。マスクに染み込んだにおいも、おばあちゃんがつけているエプロンにしみついてるにおいとほんまに同じで電車に揺られ街を変えてもなんかどえらい気持ちになって、そのままの勢いでこれを書いた。

 

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ささやかなしあわせのひとつ、次のようなこと。西加奈子の「サラバ!」の中のある文章と、小沢健二のある曲の中の歌詞にものグッとくる親和性を見出して、その文章を噛み締めた。わすれたくないなーって思いながら。タモリが絶賛した歌詞だ。

 

カラスが急カーブを描き、それに寄り添うように、祖母の煙も湾曲した。

僕はそのとき、急に思った。

おばちゃんも、いずれ死ぬのだ。もちろん、僕も。

皆死ぬのだ。 

(『サラバ!』/西加奈子)

 

 

 

左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる
僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも

(『さよならなんて云えないよ』/小沢健二)


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誰かに言いたくなったけど、この歓びを同じ速度で味わえる人を探し求めること自体がふしあわせの始まりだと、脳がようやく覚えてきた。からだの方は相変わらず物覚えが悪い!

 

 

今日明日がずっと前から休みって決まっててほんまは大阪旅行やったはずやねんけど、無くなったからな、この日のためにぽつぽつ本を買い貯めといて、どこで読むかをずーっと考えてた。旅行行ったろかな、温泉、気負いすぎて読まれへんか。とか、バイト中、最近のバイト中はずっとこの二日間のことを考えてた。んー大したアイデアは出んかったけど、今日はー外出よ!

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