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『サラバ!』を読んで

この文章を読んで、西加奈子さんの作品に触れる人がたとえ一人でも現れますように

 

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西加奈子さんの『サラバ!』を読んだ。直木賞を受賞した作品だ。文庫になって間もない頃、(僕は高校二年生を生きていた)僕の母はその作品を読み、大いに感銘を受けていた。四個下の弟もそれを読み、母の感想にふんふんと肯いていた。「あんたみたいな『お姉ちゃん』が出てくるねん」と母は言い、弟も同意して歯を見せて笑っていた。そこに何も言葉を付け足さないのが弟らしかった。

母は大学の国文科を出ていた。僕の物語への興味はそこから出発しているように思う。家にはたくさんの本があり、本屋さんに行けば必ず本を買ってもらえた。母や弟とは読んだ本の感想を共有したり、すすめあったりする。二人は当然、僕に『サラバ!』をすすめた。僕はその度に『サラバ!』を手に取り、文庫本で〈上〉・〈中〉・〈下〉に分かれたそれを読み進めようとした。だけどいつも上手くいかなかった。高校生の時も、大学生になってからも、なぜか〈上〉巻は読み終えることができても、〈中〉巻になると自然と物語から遠ざかった。

その間にも西加奈子さんの幾つかの作品に触れた。彼女の作品は「実感」という言葉とともに語られるということを知った。彼女が関西出身で、プロレスのことが大好きなこと、実は生まれはイランのテヘランだということも知った。

彼女の肉声を初めて聴いたとき、(それはオードリーのラジオにゲスト出演したときの音声だった)僕はほとんど涙しそうになった。(僕も「僕」や「姉」のように感じやすかった。)東京に来て僕は、言語というものを初めて意識した。日常生活のコミュニケーションの方法が、内容が、意味が、大阪と東京とではまるで違うように感じていた。そのことは僕を悩ませ、時に地元の友達にすがるような気持ちで電話をかけ、実際に会いに行き、いびつな言葉を話す人をなじって自分を保とうとしていた。必死だった。地元の友達が東京に出てきて、店員と標準語を用いて話しているのを聴くと悪寒がした。僕は大学一年目の夏に地元に帰り、会わなかった三ヶ月の間に変わり果てた友達をたくさん浴び、一人家に帰って涙した。話す言葉は変わらずとも、かつての姿とかけ離れた彼らに絶望した。だけど僕に彼らを否定するつよさは無かった。彼らがまた変わることを、できることなら前のように戻ることを密かに願い、その場では愛想笑いをすることしかできなかった。僕はどこまでも受けだった。それは「僕」に似た生活態度だった。

そんな時に聴いた西加奈子さんの肉声は、僕の心を温めた。僕に向けてやさしく話しかけてくれている!と、馬鹿みたいだが本当に思った。慈愛なんてむつかしい言葉でなく、「うちにこんなようけあってもしゃあないから」と野菜をおすそ分けをしてくれるときのような気軽な、親しみのある声だった。それからも僕は繰り返し、彼女の話す動画を見つけては視聴している。

僕はだから、彼女の作品を読んだ際、作品を作品としてだけ受容することが難しくなってしまった。そもそも僕はあれこれ物事の連関やつながり、起源みたいなものを見付けずにはいられない性質らしく、そこには凝り固まった思い込みがつきまとう。作品を作品としてでは飽き足らず、作り手の〈人〉を知らずにはいられない、そう思わせる作り手が現れるということだ。 

先日、『夜が明ける』という西加奈子さんの新刊が刊行された。僕はそのことをインターネットの新刊情報のサイトで受け取った。直感的に読まなければ!と思った。表紙のイラストに惹かれたし、帯に書かれた「再生と救済の物語」という文言にも大いに胸をうたれた。でもそんなことよりも先に、読む!という強い気持ちが湧いていた。僕にとって西加奈子さんは高校のときに『舞台』を読んでから、常に直接言葉を届けてくれる(文字を通してはもちろん、声を通しても)特殊な存在だった。僕は直感を信じた。

『夜が明ける』は凄まじい物語だった。「俺」・「アキ」・「遠峰」・「森」・「FAKEのみんな」全員が生きていた。物語の中、登場人物はそこに生きているように描かれる。だけどこれほどまでに生き、生き様を感じさせる物語に僕は初めて出会った。特に後半、「森」が語ることは、「表明」に近い力強さを感じた。それが僕が今まさに生きている現実の世界と完全につながっているものだと感じさせられた。

僕はこの400ページを超える物語をほとんど一日もかからずに読んでしまった。「一本の映画を観たような」でも、「たくさんの金言に触れた」でもなく、僕は登場人物の生き様を見届けたことをただ「実感」していた。

再び西加奈子さんの文章に触れて、僕は『サラバ!』を今度こそ読もうと思った。これは直感ではなく、生き様に触れることの尊さを知り、その体験をもう一度したいという純粋な欲望によるものだった。僕は実家からの仕送りに『サラバ!』を入れるよう頼み、送ってもらった。荷物が届くと、冷蔵庫に野菜を入れるより先に『サラバ!』の中へ入っていった。

「僕」の37年間の物語は、紙に書かれた文字を目で追うというより、一行一行、石碑の文字を正面に立ってからだ全体で読むような感覚だった。エジプトを流れるナイル河の映像がそこにあったし、カイロ空港の鼻をつく厭なにおいがした。「姉」は「僕」だけではなく、読んでいる僕までをも巻き込んだ。観念的なものごとと、「僕」とその周囲の人物の実在が物語の中で交錯し、その予定調和でない様は僕をどんどん惹きつけた。(そうだ、西加奈子さんの物語にはいつも予定調和がなかった。)その凄まじさは今まで読んだどの本をも凌駕していた。

いつか母が言い、弟が同意していた「僕のような『姉』」は「私を見て!」という顕示欲の強さ、執着心、そして感じやすい点において母と弟をそう言わせたのだと理解した。自分の今信じたいものを盲目的に信じたり、経典のようなものにすがりそうになる僕と、「姉」。幼い頃からの僕の数々の奇行は母や周囲への人物への「僕を見て!」に起因する行動であったと思う。周囲との折り合いを付けづらいことも数々の奇行のトリガーだった。ただ、僕は「姉」のような一面を持ちながら(まだ今の段階では)決定的に「姉」とは異なっていた。僕に近しいと感じたのはどちらかと言えば「僕」の方だった。環境や周囲の動向に気を取られ、「僕を見て!」を内包しながら「ゆれ」ている「僕」は、現在の僕のことだと思ってしまった。

だから物語が〈下〉巻に入り、毛髪が薄くなるとともに堕落していく「僕」を見ているのは心から苦しかった。〈中〉巻までの「僕」にはどこか鼻持ちならない、核の見えてこない不信感のようなものを抱かずにはいられなかったのだが、人はそれが上下に関わらず、「行くとこまで行」かないと晒せない核があるのだと知った。そうだとすれば、「僕」の周りの「姉」・「母」・「父」・二人のおばさん・「矢田のおばちゃん」・「てぃらみす」は皆、それぞれにその瞬間があった。「僕」のその鼻持ちのならなさは決定的に僕だった。

僕はこれまで行動原則が「○○しない」の否定文の人間だった。もっと具体的に言えば「他人が〜だと思うようなことはしない」。そんな人間がどうやって自分らしさのようなものを光らせることが出来るというのだろうか?そもそもそんなものは存在するのだろうか?

「僕」の周りには幸い、それが積極的であれ消極的であれ気概を持った人々が現れた。「僕」はそのことを「巻き込まれている」と思っていた。確かにそうだったかもしれない。けれど「僕」は(そして僕は)励まされ続けていた。自己を貫き通すことを。そのために「信じるもの」を見つけることを。周りを否定してやっと存在できる自己を、その希薄さを恐ろしいと思った。こわいと思った。そんなんじゃダメだと思った。

僕は確かに「姉」のような陶酔のきらいがあったが、それが突き抜けることは(物心ついてからは)絶対になかった。例えば後追い自殺や、自己破滅には絶対に達することのない凡庸さがいつもあった。その凡庸さはいつも自分を苦しめたし、「僕」よりも周囲の環境には恵まれている(今のところは)はずなのに、気付けば周囲の動向をただ受ける側として生きていた。だけど、『サラバ!』を読んだ。この体験は僕の、ほとんど根っこにまで届いた。何度か『サラバ!』を手にしたあの頃ではなく、この今、現在だったことにも少なからぬ意味があるように思う。ひとまず僕は「僕」の跡を辿るだろう。それから、僕だけの方法で僕を生きたい。「誰かのように」や「誰かのようにならないように」ではなく、僕のように。