もっとわすれる!

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日記⑩+⑩+⑩ めくる手の止まらぬストーリーよりもうっとりさせらるる文体を

8月11日

今日はこちら曇っています。ここのところは朝方曇り、昼頃から徐々にお天道さん調子を出して、沈むのは夜9時ごろ、夜半は涼しい19℃というの感じです。最近はもっぱらPodcastを聴いています。

 

8月23日

下書きにこんなのがあったので続きを書いています。僕は相変わらずPodcastを聴いています。少し英語に遠ざかっているなと思ったときの今日の最短の解決法は英語のPodcastを聴くことです。日本語のものももちろん聴きます。マユリカ霜降り明星のラジオだけは毎週欠かさずチェックしています。POP LIFE The Podcastも、本当に興味深いコンテンツばかりです。今のところの最新話は#293で、何かしらポップカルチャーに興味がある人は自分の興味のあるコンテンツが必ず過去のエピソードに転がっています。

僕が最近聴いて感銘を受けたのは「#258 村上春樹作品に改めて向き合おう」という回です。僕が好きな現代作家を聞かれてまず挙げがちなのは(もちろん聞いてきた相手によって変えてしまいますが)村上春樹川上未映子町田康あたりです。エピソードの中で、ホストである田中宗一郎(音楽雑誌『snoozer』編集長) が「読んできた小説の絶対数が圧倒的に少ないから形式にしか目がいかない」「文字でしかやれないことをやってないか(という点で物語を評価する)」ということを言っていて、僕はこれまでの自分の行いや価値観に心底納得がいった。僕はストーリーよりもレトリック、ひいては文体や表現に重きを置いて読む本を選定する。それはタナソウさんのいう「絶対数」の少なさが関係しているであろうし、絶対数が少ない中で何がこの物語をユニークなものたらしめるかということを考えた時に、文体というのは主観的な判断軸になりうるエレメントである。それと、これは僕だけのケースかもしれないが、先に挙げた村上春樹ら、ある類の、奇妙に僕の心をくすぐる文体の物語を読んでいると、僕は白い紙や画面上に何かを書き起こしたくなる。黒い線の交わりや迂曲をいくつか連ねて意味を持つ何かを立ち上げる、どこまでも平面のその上に。それはいつも異なるリズムを伴う。僕が好きな作家というのは僕に何か書く気を起こさせる作家とも言えるのかもしれない。傲慢な態度ではあるけれども、今のところ奇妙な文体に出会うと気付けばそれを模倣し、自分のスタイルと折衷、あるいは完全に占拠されながらも何かを書いてみるというのをやっている。というか、そこに意志は存在していない場合が多く、そうした魅惑的でややスピリチュアルな衝動に手を任せている。(取るに足りないものばかりですが。)

#258 村上春樹作品に改めて向き合おう Guests: さやわか、有泉智子 - 三原勇希 × 田中宗一郎 POP LIFE: The Podcast | Podcast on Spotify

 

p.s. 「うっとりする」は古語では「とろめく」という言葉にあたるらしい。なんて素敵な言葉なんだと早速とろめいてしまった、、、。とろめくとろめくとろめく、めくるめくようにとろめく。

息を呑む、うっとりするという状態は、心の中の、『寛 容/大 な』で形容されるようなうつわの中に引き摺り込む引力を持つものに出会したときを指すと思う。そんな引力の強い言葉や、絵や、音楽に僕は引き摺り込まれるのが好きなんだと思う。或いは心酔・陶酔・恍惚、も似た状況を指す言葉。が、これらは純白の高潔さや神聖さと同時にある種の空虚さや儚さを感じさせる。いずれ僕たちは自我を忘れたところから目を覚さなければならないことを仄めかすような。 「寝食を忘れる」なんてことが本当にあってはならないのだ。恍も惚も訓読みにすれば「とぼける」になってしまう。大貫妙子の「都会」を友達に聞かせた時に「自分に"酔"ってる人たちが聞く音楽」だと言われた、ともすればその通りやん。日本語、なんてこった!やで

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