もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

ペプシとコーヒーを同時にシンクへ流すと泡々になった

素敵な物語を読んだ。今後間違いなく僕を見えないところから支えていくであろう作品だ。無意識下でね。

村上春樹の「ハナレイ・ベイ」は映画化されたことでその名前を知っていたけれど読んだことはなく、図書館で「めくらやなぎと眠る女」を借りてきて読んでいたときに偶然の出会いを果たした。最初は前から、次第に気の惹かれるタイトルのものをって具合に読んでた。「偶然の旅人」が終わったところで、次の作品のタイトルが目に入って、それが「ハナレイ・ベイ」だったから、確か息子が死んじゃうんだよな〜、なんて思いながら読み始めた。こんなことを言うのは失礼というか、何も分かってないやんと言われちゃいそうやけど、村上春樹の作品にしては込み入った表現がなく、ストレートで簡潔、内容に即したことばかりで物語が進むので非常に読みやすい。スーッと浄化された何かが体の中に入ってくる。失くしたこと、何かにすがること、繰り返すこと、清廉さのようなもの。行ったことはないが、ハワイの薄暮に感じるであろう海の広大さと静けさ、それが人間の力が自然には到底及ばぬことを知らせてくる、恍惚に似た無力感を伴って。そうしたムラのない空気が息を吸うたびにわずかながら僕の肺に入ってくる。今は改めてそれを英語で読み直している、わざわざ別の図書館から取り寄せてね。

 

8月末の公募に出してみようと思う、口に出さないと簡単にやめられるから書いておく!

 

なんだかこの頃、日本にいるラブリーで心強い友人たちに突然連絡が取りたくなった。彼らの近況が気になって、そして彼らと交わす文章が、声が、やり取りをすること自体に恋しい気持ちを抱いた。それと同時に、今ふと思い浮かべる人たちが自分を作っている人たちなのかな、なんて思ったりした。全ての友人とそれぞれの部屋でそれぞれの思い出を作ってきた。僕は彼らと別れるたびにその部屋を出て、別の部屋へ入って、そこでまた他愛のない思い出を作るともせず作り、自分勝手に扉を開け放ったまま出てきた。彼らはいつでも丁寧に扉を中から閉めてくれたり、またある時は手作りの料理なんかを伴ってお出迎えしてくれたり、同時に暖かい言葉をかけてくれたりした。そのうちの不器用な彼ら何人かは扉に細工をしたり、礼節をすっ飛ばしたりして時々僕を凹ませるが、そういうものは回想を試みる時にフックになって思い出しやすいんだ。なつかしさ、という言葉を頼りに行き着くいろいろな情景、そういうものはいつだって美しい。なつかしいが美しいというのは、ガラスを叩けば割れてしまうということと同じくらい当たり前のことなんだ。僕らは当たり前を前に立ちすくむことを忘れ、しばしば盲信する。ふかふかして居心地がいいからね。でも殻を破りたい、って心から思うならば、(但し「殻を破れ」ってよく言われるからやってみるのではなく、心からそれを思うときのみ)なつかしくない、ぎくしゃくして居心地の悪い方へ舵を切らなきゃいけない時もある。一時的に帰ってきて英気を養うためにだけなつかしさは存在すべきなんだ。だから僕は、今週はやってやるぞ、という気持ち。英語に向き合う時間も取り戻して、やれるだけのことをやっていこう、この日々がいつかなつかしいになる日に祈りを込めて。

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