もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑧

長らく美容院の出来に満足できていない

 

人って多いなーって思った 人って多いな 同じ顔した違う人ばっっっっかりおる笑笑笑笑笑

向こうからしたら僕も。

 

自己開示なくして関係性の構築はない 合う合わないじゃ無くて 自己開示の方法を考える、なるほどな〜〜〜〜〜ほんまに痺れた。大人ってすごいなー

 

スマイルアップ、だせえ〜

 

言葉よどうか いつもそばにあり

これからの奇跡に全部形を与えてください

(マヨイガ/羊文学)

 

この歌詞にやられてしまったわ、歌詞に耳を馳せながら感じたライブでした。

沢山の円盤に囲まれて 最高の瞬間を記録した

(OOPARTS/羊文学)

 

今年の1月、1ヶ月の間に自由律俳句8つも投稿してた、1ヶ月で224句も読んどる。多作すぎる!多作ゆえの抜け感が良かったりした!

数え直すと今現在(10/4)、累計730句note上で詠んでいた!あと270句で1000句!今年中に1000行きます!

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑧

本日はダイアンなり、は毎週欠かさず観てるけどダイアンの良さって暴力の気配が感じられへんとこかな〜ってふと思った

40超えたおっちゃん芸人って暴力の気配があるんよな、千鳥とかオードリーとか、とろサーモンとかさらばとか…

暴力の気配が無いのは単に良し悪しじゃなくて、時代に合うんやろなって思う。マユリカとかも暴力の気配は無いしな。〈男子校のノリ−(引く)暴力〉っていうんか。

「どうせ仲良しコンビが好かれんだよ」みたいにおじさん芸人はいじけていたけど、本質はそこじゃないと思う。実際そういうファンも付いていたけど、本質は、そこにホモソーシャルが透けて見えるかどうかなんじゃないかなあ。ホモソーシャル特有の、親密さ=身体的密着の許容、みたいなものが暴力の気配を感じさせるんよなあ。あれは加害と被害、強者と弱者の構図が見えてしんどいんよなあ…

(年齢でくくるのは"アレ"やなとか思いつつ)個人的に40を超えてるけど女性ファンが多いな、と思うジャルジャル、和牛、かまいたちって男女を分けない感じがする。自分たちが"男"であることにそこまで執着していないというのんか

絶妙なのはチョコプラ、暴力の気配は無いなぁと言う気がする

40歳を下回ると、見取り図やニューヨーク、マヂラブ、男性ブランコ空気階段などなど、暴力の気配は薄いと僕は思う。ただやっぱりホモソーシャルの名残はあって、お笑いとの結びつきって強いんやなって思う。(とんねるずは一気に消えた。)

例えばオードリーは大好きやけど、「クミさんいじり」には(もちろん若ちゃんとクミさんとの関係がある上で成り立っているが)暴力(ホモソーシャル)の気配を感じてしまったりする…

これはもっと考えていきたい!どの芸人もほんまにラブです!

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運動했어、2時間ほどゆっくり汗かいた、カフェへ行き作業をして、原宿のお店をいくつか回って図書館へ行き、家に帰って晩ご飯を食べてからは何もしていません。

 

明日は久しぶりに先輩に会うし、ちょっとした企み事に取り組むつもり!

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑦

うちの寮はシャワールームが共有、今日は使っている人がいたので「もうすぐ上がりますか?」と聞くと「今、シャンプーするとこ」って、順番知らんわ

 

昨日の夜、XGのNEW DNAと柴田聡子のSynergyがリリースされた 柴田聡子の方は「ねずみ〜」を聞いただけで良いと分かったので朝起きてから聞こうと思った 案の定よかった それで急遽ライブのチケットを買った11月のやつ

〈友人〉と〈外出〉ってタイトルがあるのにも気付かずに〈友人〉の方を買った 個人的には柴田聡子の楽曲は〈外出〉って感じがより当てはまるんやけど、今年は友人の大切さをとてつもなく実感しているから良いのかなと思った

 

やらなければいけないことを後回しにして生まれる不安は日増しに大きくなって精神をついばむ 今週金・土で追い込もうと思う 具体的な数字を持って!

 

4打数0安打1四球みたいな日だった。明日はヒットを打ちたい。

 

ー雪の中、キツラノビーチへ一人で行った日を思い出す。キツラノビーチはカナダ・バンクーバーの中でもおしゃれな雑貨屋やカフェ、ビーチを臨むことのできる高級住宅が並ぶ落ち着いたエリア。メインストリートから10分くらい離れた小さなカフェに一人で行った日、僕は柴田聡子を聴いていた。バンクーバーの冬には柴田聡子だったんです。

 

ユーミン観てきた。 思ってる以上に身体はしびれたらしく、武道館に大きな音が流れた瞬間涙が溢れ出た。デカい音がなって観客が沸いたら泣いてしまう身体になってしまいました。山下達郎、1975、ユーミン…3曲目の"リフレインが叫んでいる"がえぐかったすねー、後半の"埠頭を渡る風"も。やっぱ大御所ほど出し惜しみしないなと思う。山下達郎は3時間くらいやりっぱなし、アンコールも2回。6月なのに"クリスマスイブ"までやる大盤振る舞い。ユーミンも2時間半みっちり。火とサーカス団(?)を使った大掛かりな演出は音楽のコンサートを超えてエンターテイメントって感じがした。後、昔の曲を引っ張り出して演奏するアーティストって、その時々に正直に100を出し切ってるんだろうなと思う。若手ロックバンドを追ってた時期なんかは、当時流行った曲をやらなかったりして、「そういうのはやっとけ!!!」と思っていたので。小沢健二もそうだけど、過去の創作物に恥ずかしい気持ちを持たずにむしろ新鮮な気持ちで新しい息を吹き込みながら向き合うアーティストこそ、かっこいいクリエイターやなあって思った。

それから、観客は親よりも年上の50後半から70代くらいのおじさまおばさまだらけで、あの歳ってのはなんであんなに感想を公演中に喋る?まあええんやけど、標準語のおばちゃんを間近にいっぺんにたくさん観た経験は無かったので面白かったです。60くらいのおじさんをたくさんいっぺんに見ると、「日本、回ってきたんやな〜〜、日本、回ってるな〜〜」という気持ちになりました。ユーミンの少女性(ぴょんぴょん跳ねる、「この頃〜なわたし)」、語りを通して作り上げる物語(MCはほぼ無く、公演のコンセプト"Journey“から降りない)みたいなものはもしかしたら年配の方が好きな構造なのかもしれないと思ったり。同じ物語の中に封じ込めていく印象。達郎は降りまくり、MCしまくり、笑いとりまくりでした。あざした。

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑥

ぽんぽんと立て続けにコンサートのチケットを二つ買ってしまった 気が緩んでいる お金を節約する 気を引き締める

 

こっちの睡眠不足のせいもあったけど あまりにもT過ぎ〜〜という発言をされ 意気消沈したので 「T型 正論bot」 「T型 こっちの気持ち」など調べて気を紛らわす(サボり時間)が3分ほどあった

 

空色の紙に貼られたような半月 上弦の月 たくあん

 

一度 他の言語を学んだ後で 日本語話すとにわかにわかる いかに己がテキトーか 言葉に意識を払わずとも どっかで聞いたようなこと どっかで既に言ったような言葉だけで会話ができるらら

 

若ちゃんが話脱線した後に「そりゃいんだけどさ」って言うの 好き

 

1時間半ほど サイクリングした 池袋行って 東京ドームまで行って 水道橋から飯田橋まで 神田川沿いを走るのは気持ちよかった

池袋でタクシーに轢かれかけた 「危ないやろ!」

東新宿では車道でジョギングし続ける人に腹が立った 「危ないやろ!」

ジジイになったら思わず口から言葉にして言っちゃうのかな

 

卒業論文を書いています。こんなふうに客観的に(誰に言われたわけでもないのに)、誰が読んでも同じように読み取れなきゃいけない文章を書いてると 人間にとって本当のことが書かれているのは 書き手が好き放題に書いたエッセイや日記なんかの方じゃ無いかと思ったりします

人間の中には偏見や思い込みってのはかなり多いことに思い当たる 自分の中のそういうものを発見するたびに 科学的な 根拠のある 文献にあたらなきゃいけないなーと思う

普段の主観的な言葉(日記やブログ、会話)ってのはいわば路上で殴り合いをしているようなもので パンチが当たれば何でもよし、なりふり構わず言葉を投げ付ければ良いんだが、論文というのはそうもいかず 用意されたリングの中で 体重を測ったり、時にはオリンピックみたいに防具をつけたりしなきゃいけない。 要は 誰も本当には傷つけないし 本当に分かり合うこともできない ということなのか(?)

拳でお互いを分かりあうってのは古くていかにも毒々しいマスキュリニティって感じもする

 

待ち合わせ5分前というのは無性にドキドキしてくる。相手が誰であれ zoomであれ

約束の時間になる3分くらい前に「着いてるで!アトレのスタバにおる」と打った文字を一度消したりする。急かしてしまうかなあと思ったりして。だから、約束の時間ちょうどになるまではLINEを送らずに目視で探したりする。あるいは、探している姿を見つけられる恥ずかしさを回避するために本を読んだりする。相手が乗ってくるであろう電車を3本分くらいを調べる。54分着であればこの出口に出てくるのは57分か、とか考えていると本は全然進まない。「着いたよ!どこいる?」と来てようやく「南口のアトレにいる!」と送ったりする。この時はなぜか標準語を使ったりして。

 

久しぶりに歯が痛くなるほど飲んだ

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑤

例えば自分のアパレルブランドを立ち上げたり自分のファッションを発信したりしてる人って最近多いじゃん。で、そういう人たちが、「GUで服買う人を減らしたい」みたいな売り文句を掲げてたら、それは違うでしょ。って。それをいかに自分らしい言い方に、かつ人に刺さる言い方に変えて伝えるかが問われてるんじゃないのって。

 

こりゃ失敬 インタビュー記事みたいな書き方をしてしまった 

 

2ヶ月前の最悪な接客を何度も思い出す

鬼塚タイガーOmote 3 Do店、二度と行けへん

 

誰もが虚構とリアルの二つの世界を生きていると思うことがある 特に「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観た後ではそれがもう少し鮮明にイメージできるようになった

日常の話の端々に散りばめられた細かな嘘(話をよりドラマティックにするため、自然にするため、わかりやすくするため、あるいは忘却の彼方からリアルにアクセスするために再作成された悪意のない嘘)

嘘の世界(including 忘却の彼方)はかなり混沌としていて、同じ人がある人を好いたり嫌ったり、いたずらっ子が大悪人に仕立てられていたり、ハグしたと同時に殴ったり、それはもう無茶苦茶にやってる

現実に起きた出来事は口から語られる・文字にされる度に再構築されている みんなの頭の中に"現実"として"物語"が保存されて行く そうした"物語"が交わっている世界の話

そういう世界ってあって良いと思う

 

小沢健二の歌詞解釈を進める 「どこまでだって恣意であれ!」と心の三四郎小宮が叫ぶ

こんなもん、歌詞読後感想文(厚め)ですわ

 

木でできた机に爪をカチカチと当てる もしかして,,, この音は江戸時代でも、もっと前でも同じ音だったんじゃないか とか思う それでpop virusの歌詞に思い当たったりするf:id:takaabgata:20230923211250j:image

 

すごく疲れていた 夕方 まあ歳ですか ご褒美にシュークリームを食わせてやった その後ジムでオーマイガットゥギャザ〜♪(「1時間運動したって言うてます〜」)

 

走る 汗かく 気持ちいいを 超えた後はずーっと気持ち悪い いつでもやめられると思いながら やり切る気持ちよさ 知ってるから まあやるんです やりました 目指せ10/2までに61kg 内定式のスーツをビシッと着るぞ〜と思い始めたのであるが どっこい 私服で来いと。 

 

夕食には昨夜のキープ 鯖の煮付け お豆とひじきの炊き込みご飯 こういう飯がとんかつより嬉しくなったりしてきてる シャワーはまだ面倒な22の秋 

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+④

雨音とiPhoneの操作音で始まる現代的な曲を聴く

気だるさや退廃感が都市のテーマであるならば 晴れた日が好きな僕はここに向いていないのか

 

いいえ、아니요(アニヨ)、NO、不对(ブードゥイ)。こういう典型的な〈埋没した個性に関する葛藤〉も都市のテーマだからね 逃げちゃダメだ逃げちゃダメ

 

いちじくを求め家を出た 午後10時、 結局見つからず ただの40分くらいの散歩になった 帰り際にセブンイレブンでマンゴーとナタデココの入ったのを買った 汁は飲まなかった 雨が降り始めたけど ザーザーになる前に家まで着いた シャワーを浴びて ドライヤーをした 明日は晴れるだろうか 

 

画像遊びは楽しい そう言えば久しぶりにタメ口で誰かと話した気がする 4日ぶりくらいに

 

8月は音楽がいらない 9月はやけに音楽が捗る 毎年 毎年 9月に聴く音楽は良い という思い込み

今おすすめの曲を聞かれればいくつも言える

 

おすすめの曲を聞かれた あまりうまく答えられなかった

 

今週だけで二人芸人を街で見た 一人は同じ新幹線の同じ車両 今度はカフェの隣の隣 良識のあるファン面をしていたいので声はかけへんかった 心で叫んだ「イルカも泳ぐわい!」

 

電車とホームの開いているところがすごく広く感じられて大股で降りた 

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+③

つくづく秋が好きだと思う

 

バカにはできないことをしていたいと未だに思う ダブルドリブルでも良いから

 

存在しているだけで疎まれる可能性については心づもりをしてようと思う

そうしていた方が、後々何かと楽なので

 

存在しているだけで誰かを傷つけている可能性については時々思い出そうと思う

例えば(誰かが)生まれながら二重であることとか、(誰かが)生まれながら太りにくい体質を持っているとか

何かを持つということは同時に何かを持たないことを知らないことなので、そういうことは時々思い出していたいと思う

 

好きなものは 自室に閉じ込めて それは僕だけの農場 餌は僕が与えなければならない

 

空いたビールの缶の中に 残った3滴分くらいのビールも 今となっては蒸発して 肺ですすったのかも おいしかったのかな

 

自分というのは案外よゆうで無視できるんす 他人を無視する時には良心の呵責ってのがあんのにね

 

音読してください もう何年も言われてないね これからも 音読というのは 契約書の場だと 「読んで無かった、はナシですよ」の縛りつけのようになるね

 

少し離れれば「作られた自分」のように見えるし、密着すれば「作り上げた自分」のように見える

どちらの姿も厄介です 農場へ帰ってセーブして電源を切ろう