もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

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その日はモッズコートの一度外したライナーを付け直すほどに凛と寒い、季節が逆戻りしたような日だった。これは当然だけど不思議な話で、冬には夏の暑さを忘れ、夏には冬の寒さを忘れる。

 

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その日は東京は港区乃木坂、新国立美術館にて有名なリエイティヴ・ディレクターの展覧会を見る約束をすごく前からしていた(ような気がする)。この実感は約束をした日からの日数よりもむしろ楽しみにしていた日数(この日数、実際は同じだけれど)に拠っている。朝はノーアラームで目が覚め、ストレッチなんかをしたものの待ち合わせ場所に1時間程前に着くような。展覧会の内容も然り、一緒に回る人然り、その楽しみったら一様でなかった。

 

コミュニケーション、本質、アイコニック。

おしゃべりが好きな彼は企業との会話の中に、秘めた、或いは既に持ち合わせている本質や宝を探し当てる。それをアイコンに描き、一目で万人に分からせるパワー。

明快、ストレート、強。

無駄が削ぎ落とされていて、冷たさと暖かさを兼ね備えたような強さ。

POP、ソフィスティケイト、SHARPNESS。

作品は一貫してPOPさを秘めていた、つまりは内向的というよりも外向的。でもそれは内向きの事務的処理を極限まで突き詰めた後の外向きの運動。彼が得た情報は咀嚼し洗練され、紛うことない一本の筋となる。

 

最近になってようやく岡本太郎が遺した『自分の中に孤独を抱け』や『孤独が君を強くする』という言葉を理解できてきたように感じる。

ある芸能人があるアーティストにTVで言ってた。『孤独に耐えられる人だから神様はあなたをこうさせたのよ』

今日はまた一段と風が強い。

 

一度目覚ましに設定した音楽はそのイントロに妙な不安感を抱いてしまう。(ROLL COLL/Suchmos)少し飲み過ぎたけど、そのお酒のせいで話が思わぬ発展を遂げ、若さゆえの将来への不安や希望の入り混じった感覚になった帰りにはTHE ANYMALを聴く。イギリスのパンク映画やフランス映画でパリの夜雨に打たれる彫りの深い、そして多くの場合坊主で、ロングコートを着ている男たち。彼らのニコチン愛を想う。

 

 

誰が率いるでもない3人のバランスといったらこの上無かった。緊張軸や弛緩軸で座標を取るのは不可能な点を重心にして僕ら3人は展示を見て回った。

 

本を読むと言うのはある意味で作者の脳に侵入し、作者の脳のスクリーンに映し出された映像が文字になる過程を無意識的に探る行為だ。これに類似して日常のコミュニケーションは相手の口から発せらる空気の震えを聴覚で感知し、その言葉から想像可能な幾つもの状況や感覚を自分の過去の経験・知識を資本に、瞬時に再構築して言語化することのラリーだ。(ラリー中にダウンザラインでウィナーを取り、"C'mon!"と叫ぶことは大抵の場合必要とされないどころか、人間関係を拗らせる立派な要因となる。)

映画の場合、視覚情報をふんだんに2時間受容し、それだけで多くを理解したという満足感が得られる。落とし穴はそこで、作り手の脳内のスクリーンに一度映った映像、そこから派生した言語、それを映像に再構築する過程を辿るという手順を踏まなければ本質的理解には程遠い。

というようなことをどこかの本で読んだ。

 

うちな、えらい昔から好きな本あんねん、と女。なんの本、と聞いたらもう電話いじって聞いとれへん。まあええわ、口に出さんと心で思ってアイスコーヒーをすすったら氷が溶けてコーヒー風味の水なってしもてる。次どこ行こか。なんか雨降りそうやな。これもすっかり独り言となっていて何気に自分も電話を見る。ええ、と女の大きな声。どしたんと聞いたら有名人のスキャンダル、どうでもええわと内心おもていや、ほんまにどうでもええんかな、これはこの女の対人コミュニケーションの適当なところを半ば恨めしく思って同じ感想を持つことを避けたいがためにどうでもええと思うようにしたんかな。それも込みでどうでもええわ。ほんでそっからきいついたら30分くらい無言が続いた。一昔前ならこんなデートあり得へんかったんちゃうかな。それかお互い漫画や雑誌やらをぱらぱらと、たばこをふかして30分なんてこともあったんかな。90年代前半のバブルがはじけた後の荒廃感やら若者の反発やらを夢想。就活氷河期という言葉にぶち当たった時にさすがにしびれきらして行こ、とあてもなく店を出た。行こいうたら案外あっけなく電話しまうねんからもっと早よしまうタイミングあったやろ思いながら。道玄坂、平日の秋は黄昏、とはいうてもビルのせいで空はほとんど見えずなんもええ感じはしやんねんけど、そこを20代後半から30代前半くらいのばりばり働いてそうな年齢の人がなんとも言い難い顔して歩いてる。わりかしゆっくりと。何してる人なんやろ、もうそういうのを口に出すんはとうにやめた。まだ17時になる前やったけど晩飯を食べるのはなんかなあという感じやった。さっきのカフェのあたりから。気持ち的にも、お財布的にも。109の辺りまで下ってきて何線なん、と聞いた。銀座線やけど。ええ、と内心。僕井の頭やからここで、と言うて1人にしてええもんなんか、素っ気なさすぎるんかそれは。とか考えてたらロクシタン、なんも言えんとスクランブル交差点を信号待ち。と、ぽつり。一滴の雨が脳天を直撃したような気がしたと同時に口突いて雨降る前に帰ろかあとちょっと惜しそうに言うてみる。そうやねえと生返事。TSUTAYAのほっそい電光掲示板にニュースが流れてくるのを女眺めとおる。株価が○年ぶりにどうのこうの、目線を同じ方向にやりながらも一回信号待ちしてるからさすがに井の頭やからあっちやわとは言えずに交差点を渡る。会話が無いのもなんか居心地悪うてまた晩御飯も、と言うてしまう。うん、行こうとなんら行く気無さそうなのがそれはそれで。交番のあたりで解散して、TVか YouTubeか分からんごっついカメラ持ってる人を横目に気付いたら足取り明日の神話。誰も目を向けんと黙々と耳にイヤホンさして歩いていく。なんで俺を見いひんの?と絵の中央の像が首を傾げてるよう。後ろ振り返ったらガラス張りのキャンバスに橙と藍のコントラスト。そこに(歯ブラシに絵の具を付けてしゃっとやるような)斜めの雨が降り出した。