街や電車、テレビや携帯を見るとき。私たちは常に広告に囲まれながら生きている。
"一生分の一歩を踏み出すあなたへ"
これはティファニーとゼクシィのコラボによって作られたショートフィルム"ティファニーブルー"の広告の最後に出てくるコピーだ。
その後の人生を二人で。これからの展開を二人で。そんな大きな決断はどんなものなんやろう?する前には誰にも分からないし、なんか怖気付いてしまう。そんな人の背中を優しくそっと押してくれるコピーだ。
一人で過ごしてきた日常や景色が、二人のものになるという美しさを感じさせられた。
出版社・講談社の一般公募、〈電車で読書って楽しいよね〉に寄せられたものである。ずばり、読書は宇宙だ。文字の宇宙に浮遊することができる。
続きが気になって、登校中、授業中、眠りに落ちる寸前までずーっと本を読んだ経験をしたことがありますか?
考え事やネガティブから束の間の解放を与えてくれるのは文字の宇宙空間を浮遊している時だな。そんなことを思い出させてくれる広告だった。
本繋がりで、新潮文庫の『想像力と数百円』。糸井重里さんによるものだ。本が想像力を掻き立てられるものであることも、数百円で買えることも当たり前のことである。
しかしこの二つの言葉がビッグバンを起こして、我々の想像力は無限の広がりを持つようになる。
本をあまり読まない人にとっては「なるほど、数百円か。たまには本を読んでみるか」となるかもしれない。
本を結構読むぞ、という自負のある人にとっては「イマジネーション。私の想像力は果たして胸を張れるほどのものだろうか」と考えさせられる。
"アメとムチ"や"月とスッポン"など、無関係の言葉が組み合わさった時、意外な発見や悦びがある。
文房具メーカーPILOTの広告。口から発する言葉はとても不自由で束縛されていると感じる。「そういうことを伝えたかったわけじゃ無いのに」と、慎重な人ほど口から出た言葉で損をする。口は災いの元。
書く時はしっかりと今の気持ちにあった言葉を選ぶ時間がある。自分を見つめ直す時間になる。心ときちんと会話する時間は今の自分をもっと好きになれる時間。(なんかコピーばっか読んでたらコピーみたいな語りなっててきもいで)
(新明解国語辞典の広告)
(生意気ながら)恋愛について考えるとき、「見返り」というワードを軸に考えてしまうことがある。この行為・言動は相手に対しての優しさなのか、はたまた見返りで優しくされたいがための(自分のための)優しさなのか。
この広告を読んだとき、「それも込みで恋愛なのかな」と思った。(うるさいな!!)
相手を思うことはそれだけで素敵なことで、その相手には性別も関係ないのだ、とも思わせてくれる広告だった。
文字は無限の可能性がある。それは言葉というものが世界の一部を切り取ったものに過ぎず、ある言葉に対する受け取り方やイメージが人それぞれに異なるからである。一つの言葉からどれだけのイメージを描けるかどうかは、その人の想像力に直結している。
昨今の広告は言葉を持ち過ぎている。言葉が多くなればそれだけ世界を狭めていることになるのだ。受け手の想像力を信頼して、もっと広大な文字の宇宙空間にほっぽり出してくれるような広告が増えればいいなと思う。