もっとわすれる!

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君の思いはちゃんと届くわ

常々から思っていることの一つ。他人の意思をくみ取ろうとする僕に備わった力の厄介さ。常に僕を取り囲む誤解への恐怖と冒険心。「声に出して言っていないことはまだ存在していないのよ」って誰か言うたびに、あ、存在。って心が反応している。僕の心の中、目に見えないものへの信仰心に似た気持ちがあって、むくむくと、日々栄養を見出しては貪っている。凄まじい生命力で。

踊ってばかりの国の中に"君を思う"って曲があって、それはそれは素敵なのだけれど、歌詞を踏まえて曲名を英語に訳すと何になるかってふと考えた。I think of youにはならないな、って。なってほしくないな、って思った。まずはこの歌詞を読んでみてほしい。(耳コピしたから誤謬の可能性あり)

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日本語のおもいやりって言葉は"思いを相手に遣る"ことやったんやで。(Vo.下津光史の声で脳に響く。)思い、目に見えないこの思いを今ここにいない誰かへ遣ることの尊さ。思いを馳せるって表現もあって、辞書の意味は"遠く離れているものに自分の気持を向ける。おもいやる。"(日本国語大辞典)

そう、ものに頼らず託さずに、なにかを通わせようと営む僕たち。飽きもせずにさ。でも英語にそんな考えがあるのかな。思いは言葉に乗せて言うべきだ、言っちゃった方がいい、言わなきゃわかんないよ、ってそんなこと知ってるよ。そりゃ、言ったほうがいいこともたくさんあるけどさ。サッと言ってみんなで笑って弾ける時間が僕はとても好きだけど。なんかあけすけじゃん。白黒つかない君の見えない部分をあれこれ想像したいよ、そりゃ都合良くもなるけどさ時々は。許せよ。僕のこともあれこれ都合よく想像していいからさ。遠くにいるあなたから思いが届いた時、そっとくしゃみでもするよ。(今、僕の周りにいる人はブレスユー、って言うんだよ。)やっぱり事実どきどきするんだよな、時が早く過ぎてゆくんだよな、思いをやってるとき。君を思ってるとき。

"君の思いはちゃんと届くわ"

この言葉を信じていたい、そして祈り続けたい、僕の思いつく限り全ての人々が、今日一日を健やかに、ひととき心を落ち着けて過ごせますようにって。夏の空の青さとか、遠くに見える稜線とか、出番を待ってきちんと並んだバスとか、立派に花を咲かせたものたちを愛でたりできますようにって。そういう時間を束の間過ごせますように、って本当に思うんだよ、この曲を聴いているときには。目に見えているものは信じてもしばしばあっさりと裏切るんだからさ。せめて何かに対峙している時のポジティブな気持ちを保存して、毎日水をやって愛でて、素敵な言葉をかけて、そうやって生きていくしかないよやっぱり。それをせずして生きるにはあまりにタフだよ、この世界はさ。


"本当の心は本当の心へと届く"

これは小沢健二アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)という曲の中の歌詞。本当だな、と思うことがつくづく。例えば何かに命を燃やしている人。岡本太郎の言葉を借りれば、"無条件に生命を突き出し爆発"させている人に、僕の本当の熱意やパッションみたいなものはあっさりと通じる。そういう人は他人に対して受け入れ態勢ができているみたいでさ、不思議でたまらないよ、何かの虜になっている人ほどやわらかいのが。反対に、(定期的に僕がなる)なにも手についていない人ほど自分に夢中になってかたくなってしまっているの。周りに気を取られているようでいてかえって自己本位なの。んー、こればっかりは波があるんだけれど僕は爆発してたいな。たとえ花火みたく綺麗に咲かなくとも、落とした卵みたく汚く醜く飛び散ったとしても、僕たちはそれを個性と呼べるのかもしれないし。そういうことを考えては忘れて、またしばらくして違う角度から見つめ直している。なんかおんなじ事ばっか言ってる気がする。笑 でもどの言葉も嘘でもなくて、ふと音楽に心を動かされた時のピースフルな心をできるだけ留めときたい。とは言いつつ、新しい知識が入ってきてないのも事実で、そういうのって日本語からしか摂取できないんだよな、残念なことに。今はkindleで最新号のユリイカ「現代語の世界」をぱらぱら読んでる。

 

p.s. 恕(じょ)という言葉を今日知った。日本国語大辞典を引けば以下の意味にぶち当たる。「人の身の上や心情についての察し。同情すること。また、その気持。思いやり。」なんだか字面は「呪怨」の怨の字に似ているからか、オカルト系の漢字を想起させる。恕する、という動詞系もあり、「思いやりの心で罪過などをゆるす。」になるらしい。この意味の中には既に「思いやり」という言葉が出てきていて、思いやりの概念を知らないことには始まらないのだな、なんて思ったりした。