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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑥

おっけ〜い調子良し。恵比寿駅はいつも曇りの空気を纏っている。それと焼き魚の匂い。

 

 12月23日

人に趣味を話す時、野球・お笑い・音楽と言うてるんやけど、これを言うのは実感に近いものを述べると言うよりはフックになるものを言ってる感じ。話を広げやすいものを話す感じ。大阪人・楽器をやったことがある・最近街で見た芸人etc。

「人に話す」と「文字を書く」と「タイピングする」と「フリック入力をする」時の自分はそれぞれ少しずつ違う人間のように感じる。

例えば話す、って人間の行為としてすごく自然のように見えるけど、脳ではどのようなことが起こっているのだろうか。英語を話す時、限られた語彙(例えば「コウモリ恐怖症やから見せんといて」と言いたくても"恐怖症"がパッと出なかったりする)で話すと、やはり僕の中で「コウモリ恐怖症」は存在感を弱める感じがする。それでもコウモリという大きい概念の丸と恐れという感情の丸は明日も明後日も存在するような気がする。因みに恐怖症はphobia。一方で日本語の中でも「虚数」について話してください、と言われたら途端に語彙力を失うし、そんなことは僕には話す必要もないように思われる。だから、持ち合わせた語彙だけでシンパシーを感じ合える人(価値観の合う友達)とつるんでいく。そのようにして似た語彙を持った集団が集まる。

文字を書く、これは手を実際に動かして紙の上に書くことを想定している。こん時は脳の回転に腕の動きが追いつかない。書き殴りながらも「読める字」を心がけようとするとなおさら腕の速さはおっそい。たまーに手紙を書くことがあると、文章のぐにゃぐにゃさに嫌になる。伝えたいこと、と言うのは本当はなくて脳の中が腕の動きを通して整理されている感覚。一回ペンでぶわっと書いてみて、それをスマホフリック入力して読んでみると考えてもみなかったアキュレートなことが書かれていたりする。全体を俯瞰して書かない時は、収まりの良い文章を心がけていないから、ゴリ押しで潔い文章が生まれていたりする。

タイピングはパソコンのキーボードで。大学四年になってほぼ毎日平均5時間くらいはパソコンを触るようになって、結構脳の回転とリンクしてきた感じはする。ただこれも手書きに似ているところがあって、1回目に書いたやつを読み返してええ感じのこと書けてたためしが無い。気取って「なおかつ」とか、「しかし」とかがようけ出てくるけど、全然「なおかつ」の意味が通らん時とかがしょっちゅうある。ただ、他の作業と異なるのは唯一両手を使って文字を書いていると言うこと。タイピングして乗ってくると気持ちよくなって身体ごと前のめりになる感覚がたまにある。

フリック入力、は1日の中で呼吸の次にやってることかもしらん。1回目に書くときも(書き直しをしなくても)、なんとなく前後関係をみながら、少し立ち止まって考えながら、今まさに考えていることに一番近しい言葉を選べているように感じる。やっぱり1番速く打てるというのは、話す感覚に似ていて口語になる。口語になれるだけリズムが自分に近しいものになる。その分、人には読みづらいものになる。このように(どのように〜?)。そして消したいものは迅速に消して書き直せるというのも良い。

 


話す、書くというのにも色々あるけど、「話す」が1番危険。