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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑦ 今年のテーマは健康と爆笑でーす

 人間は生きてきた時間に比例して前進するという考え方が僕らの前提にあるような気がする。歳を取るという全ての人間の目の前に平等に引かれた時間に並行して、思考が研ぎ澄まされ、愚かじゃなくなっていくという考え方が前提に。若い頃は失敗がつきもので、いずれは惑わなくなったり、天命を知ったりしていくという考えが古くからあるようだ。これは前進の前提である。そうなんだろうか。知らないことが減っていく、試行回数がカンストに向かっていく、到達しうる合理性の極限にまで到達する、それくらいのことではなかろうか。試行を繰り返そうが、一旦立ち止まれない人はいつまでも進化しない、前進しない、そういうことではなかろうか。そんな風に思う。

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年の功を感じることなら多々ある。例えば高尾山口の駅前での一幕。シニア男性が「ごめんね、遅れた」と言うのに対してシニア女性が「早く来すぎたわ」と返す。この居合には無駄が一つも無かった。また、ハッとさせられた教授の一言がある。「そのアーティストは大衆の反応をあてにするんですか?」。「あてにする」というフレーズの全く新しい用途だった。卒論で小沢健二を研究していた時に教授に聞かれたことなのだが、何者であるかを問わず、人は「あて」にしているものがそれぞれ違うな、と思った。アーティストであればヒットチャートをあてにする人、自らをあてにして孤高に表現する人。中学受験生であれば「校風」・「共学かどうか」、就活生の次元ならば「給料」・「福利厚生」・「積極的にそのことであればお金を稼ぎたいと思う何か」、社会人なら「やりがい」・「環境」etc…と「あて」が変わっていく。人間関係においても信頼できる人からの本音をあてにする人、尊敬している人からのお世辞が明日の活力になる人、恋人の些細な一言に胸を詰まらせ、湯船の中からひょっこり出た膝をただ見つめるだけの時間を過ごす人、それぞれである。そうした一喜一憂の試行回数をカンストへ向かわせながら、僕たちは自分の思考が深まっている、高次に向かっている、という錯覚に陥っていく。(それは自分を守る殻を培うことでもある。)

 以上のようなことは、今手に入れられる新しい靴や新しい携帯がほとんど進歩していないのと同じようなことだと思う。新しい靴や携帯を持つと気分がすごく変わる。色やカタチ、容量や画質が異なっている。それはもはや大した進歩ではない。スライドである。同じ思考を持ち続けると自分によく馴染んでくる。どこへいく時でもそれさえ身につけていればほとんど太刀打ちできるようになっている。昔は解決できずクヨクヨ悩んでいたことだって、慣れ親しんだ思考だと解決したように感じさせてくれる。それで時々誰かの言葉(本や日常)にハッとさせられて、ちょっと思考にヒビがはいる。刷新したり、ドッキングさせたりする。考え方が新しくなれば気分が変わって物事へのアプローチも変わる、前回の思考では解決できなかった、或いは看過していた物事に正面からぶち当たることができるようになっている。試行回数はこうして増えていく。成功体験も増え、成長したような気になれる。言い換えれば、時間が経つにつれ、失敗を失敗とせず合理化したり、失敗後の体験と失敗とを一連の物語とすることが可能になっていく。

 しかしここで僕は、ほとんどどんな壁も過去の誰かが経験している、ということを言いたいわけではない。この苦しみ、ここにある他にはない質量の苦しみは固有のものであって、定量化して再現可能な、他者と全く同じ苦しみとされては、たまったものではない!僕にできることはいつでも、僕固有の物語として言葉を紡ぐこと、他者に伝達すること、或いは僕固有の物語として誰にも語らないという選択をする事だ。年齢を重ねていくという一方通行のレールが全てのものに対して平等にあるのであれば、そのレールの上にできるだけ多くの目印を残していく作業が自分にしかできない、最も有意義な活動であると、僕は思う。

 

f:id:takaabgata:20240104173828j:image 人間は物語を好む。脈絡のない事象同士をある共通のカテゴリー内で語ることで、簡単に理解されたり、感性に訴えかけやすくなるのだろう(例:「新年早々地震、飛行機事故、テロって令和6年さすがにヤバいだろ・・・」・「M-1ラストイヤー」etc)。物語化することはかえって短絡的で陳腐になる危険性をはらんでいることも肝に銘じなければならない。人間が定めたものの範疇に全てが収まるわけがない。パターン化というのは脳が好むもので、逸脱は即おそれになる。0〜9と本に番号を振るのは図書館に任せておいて、もっと個人的な固有の物語をお互いに長い時間をかけて咀嚼する時間が、ひとまず僕には必要だと思う。

 

追伸:今年のテーマは健康と爆笑でーす