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日記⑩+⑩+⑤ 食う寝る・食う寝る・食う寝る

8月5日

僕は今、学校からほど近いNelson Parkのベンチに腰をかけている。時刻は午後7時を少し回ったところ。目線を少し上げたところには上弦の月が空の青を透かしていて、そのまま首を少し左に向ければいつまで経っても進行してないように見える工事現場の大きな赤いクレーンが聳え立つ。二つの長い首、まるでキリンの。太陽はまだ西側そう低くないところにあり、この時期の日本の午後3時頃のような空気。時折ひんやりとした乾いた風が吹き、落ち葉をかさかさと言わせてさらっていく。公園のベンチは僕が座ったことで全て埋まってしまった。タンクトップでスクーターを傍に置いたおじいさん、北欧風デザインのニットを着た女性、ベイプの煙を高らかに吹き上げる白人の男らが座っている。黒いドレスに赤いハンドバックが際立つ初老の女性が目の前を横切っていく。背後ではアジア系のカップルが芝生の上に寝転がって、始まりと終わりの判別のつかぬ戯れを続けている。ヘッドフォンではharuyがストーリーに載せていたクリスタル・マレーという女性シンガーのアルバムを聴いている。カモメは大きく空を旋回、鳩が想定よりも接近してきた、歩いたまま。今日は早く授業が終わったから手持ち無沙汰になって、いずれ立つ保証もなくここに座っている。このまま二度とここから立ち上がらないかもしれない。隣のベンチのサングラスをかけた若い白人の男が立ち上がると、すぐそこに黒人の男が腰をかけた。ひっきりなしに目の前の道は犬を散歩させる家族、ダウンタウンへ繰り出すであろうおめかしした女性、仕事帰りであろう、ビールの缶を6つ傍に抱えた男などが歩行していく。ここを歩くことになんの疑いもないもないように。今、ベンチには二つの空きがある。公園の反対サイドでは若者が4人、レジャーシートの上にうつ伏せになって寝そべって、それぞれ頭を寄せて何やら話し合っている。親密さ。時々恐怖を伴ってくる木々の揺れの激しさ、しゃらしゃらという轟音。

左手の工事現場、建物が出来上がる頃にはここにある全ての葉が朽ちているんだろう。無数のような落ち葉はどこへいく?風に吹かれ、最後はどこでどのようにして消える?消えるというのは、人間の目で捉えられなくなった状態を言うのか、さすれば物質の消滅とはなんだろうか。人は死ねばやがて骨になる、骨が土へ還る。海へ還すよう頼む人もいるそうだ。海底深く沈む、或いは土の中微生物に解体される。ならば、いつ物質として消えたと呼べるのだろう。またある人は、人は二度死ぬ、と言った。誰かが言ったことの引用だったかもしれない。一度目は、鼓動が止まった時。二度目は、人々の記憶から消え、存在が完全に忘れ去られた時。では歴史上の人物、神武天皇夏目漱石、ナポレオンらはいつ死ぬ?思考を持ち記憶を保存しうる生物がこの世から消え去った時?"この世"とはどこ?いずれにせよ、そうした生物が消え去る瞬間に立ち会えるものは存在しないだろう。それを記憶できる生物も同時に消えてしまうのだから。

動物は死を恐れないと聞く。ただその時をじっと待って、静かに逝くという。だけど、あるゾウが死んだ子のゾウを鼻でくるみながら運んでいる動画を見たことがある。研究者は動物には「悲しみ」を理解する能力があると言った。悲しみ?能力?

僕の実家には齢14になる老犬がいて、彼は昔から口を開き、はあはあと息をすると自然と笑ったような顔になるのが可愛いのだけれど、この頃、僕が日本にいた頃はいつも疲れたような表情をしていた。はあはあ、と息をしても口角は垂れ下がってどこか物悲しげに見えた。かつて部屋の端から端を一目散に駆けていたご飯の時間も、今はただ今を、今夜を生き延びるために費やす時間のようだ。これが、生物としての使命を生きるという行為なんだろうか。繰り返しの平凡さと、ある程度の偶然には目を瞑りながら朽ちることを待って、不条理を受け入れながら食う寝る、食う寝ることなんだろうか。僕にはまだ何も分からないから、そろそろベンチを立って、お腹を空かせるために少し歩こう。今日も今日を越すために食べて、寝る!

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p.s.日常の日常性に目を向けるといつも決まって「死」に思いが巡るのはなぜなんだろう。そして生と死が繰り返すことにも思いが巡ることもどうして。一種の思考パターン。そしてその後はいつも小沢健二1stアルバムを聴いている。思考パターンというのは弱点になりうるな、、、

昨日、どうしてウクレレって言葉を聞いた時いつも笑いが込み上げるのか考えた。ウクレレという言葉が、「①南国の陽気な」「②アロハシャツを着た太ったおじさんの」「③音自体がファニーだということの」イメージを伴ってくるからだ、ってことで話は結ばれた。こんなことに人を付き合わせてごめん、読んでるか知らんけど、ありがとう