自分のことを「自分」だと思って生きてる人がぎょうさんおるって考えると、ゾッと、なんやゾッ、としてきます。それはちょうど美味しかった菓子パンの袋を仔細に見てみると、500kcalとなっていて、500kcal?!となるのと似ています。
ほとんど嘘のようなあの事実で得た悦びを思い出すボディソープの香りとかがある。
産毛を剃りシャワーで流す時、ああ、傷したんだなと気付く、私はいつまでも剃刀が下手だと、この産毛はいつまで生えつづけるのだろうか、健気に、なんかの気遣いのつもりだろうか。
気遣いの言葉の種類が違ったからって、それをことさらに取り立てて解剖して、元に戻している時に(ニッポンの社長の二本目を思い返しながら)、クソっ!ゴミ箱の配置を変えたのは自分だ!と思う。鍵がなかなか入らなかったり、傘が倒れたり、インスタントの味噌汁と長ネギの袋が頭上から落ちてきたり、買ったシャンプーは家へ着いてコンディショナーだと判明して、レシートはどこだ!返品だ!ゴミ箱の配置を変えたのは誰だ!お前か!そこに置いたのか、悔しい、美味しいスイーツでも買えば良かった。
もう少し思弁的にいこうぜ!と思う。文字化けした自分の顔を想像してスクワットをしたりしてさ、と思う。
次の美容室はいつにしようかと考えている時間は、筋トレ直後の膨らんだ身体を見ている時間くらい好き。
そこかしこ光ってしゃあない