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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+②

9月11日f:id:takaabgata:20230913203127j:image

昨日日曜日は一日友達と良い日を過ごした。車を走らせて、海を見に行って、自然を感じて。言うことのない日。「一日が短いと思った日の日記は長い。」まさにその通りでした。

今朝の通勤中、今読んでる本の中に書いてあったことで少し考えました。結局僕たちは伝えたいことなど伝えられないという旨のことが書いてありました。頭には思いが渦巻いていても結局はお手本のように退屈な会話しかできない。よく考えたり聞いたりする文言だなあと思いました。ただ、いつもと違って一つ胸を打ったのは「庭師の叔母さんの傘は家にあります」くらいの情報しか結局僕たちは伝えられないんだと書いてあった点です。(庭師の叔母さんが物語に登場したわけでは無いので単なる例です)なるほど、これは具体的で分かりやすかった。確かに中学生に入ってまず習う英語ってこうした動かし様の無いただの情報ですよね。鳥は飛ぶ。ボールは弾む。私の名前はエミリー。13歳。これじゃあほぼ科学みたいですね。言語の基本は客観性の高い情報の伝達なんですかね。じゃあそれでも主観を持つ人間はどんな人と一緒にいたいか、それは少しでも「自分のことを理解してくれていると幻想を見せてくれる人」ですね。この幻想が限りなく実像に近付く方法が共感なんでしょうね。あるいは愛、信仰だったりもするんでしょうか。食事、とだって言えるかもしれません。食べたものが身体に害のあるものであればお腹を壊すことを通して自分を身体的に把握できる。身体の反応を通して自分の身体の限界を把握していく。理解した気になっていく。

以下はNetflixシリーズ「マスクガール」を観ての一人語り前編・後編です。

(前半)(後半)

9月12日

「傷付きやすい人」に有利な社会になっていると思う。誰かが傷付く、或いは誰かが気分を害する可能性を察知できるか/できないかはその人の素質が大部分を占めているなーって思う。傷付きにくい人は気付かないうちに相手から「持続不可能な関係」だと見なされてゆく。

例えば満員電車、ドアのそばに立つ人が降車時に電車から降りない。ずっと立っていて、降りる人の流れを妨げている。それに気付かない、なんなら「たくさんの人が私に当たっていくわね」としかめ面をしていたりする。そういうことってままある。説明すればいいんだろうけど、"説明するだけでいいんだろうか?"

いびつな社会になったと言われる。僕はZ世代然としている、のかは分からないけど「持続可能な」考え方をする方だと思う。誰かと競争するよりも手と手を取り合ってできないことはできない、改善しなければならない時には反省しながら嘘をつかず努力すれば後は人に頼って良いというような風に考えている。

インターン・勤務・バイト・労働(お前らが読みたいやつで読んでくれ)後に例の本屋へ。話は弾み、韓国フェミニズム文学の短編集を購入。ヒョンナムオッパへ - 白水社というやつ。

ボーッとしていて反対方向の電車に乗った。

すんげーしんどい気持ちになった。