もっとわすれる!

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日記⑨

8月21日

所狭しと並ぶ向こう側のビルやマンションを車窓に臨む。東も西も、日本の中だと大抵同じような色合いになる。白や茶色やベージュといった控えめなコンクリートの色に、山に映える緑とグレーの空。太陽を隠す雲は薄黄色に染まっている。そういう景色は見慣れているから具に見ようとしない。今日は眼鏡をかけて、よくよく見てみた。風が見えた。左から右へ吹いていくのが。ああなんだ、洗濯物がそう揺れたからだな。ううん違う、そう揺れたのを見届けたからだな。

 

チンチンと、金属のぶつかる音がして、暫時手を合わせる。見たこともないのに、確かにここに繋がりの残る誰か。そういう誰かに手を合わせる。そうした無意味で、分かる/分からないの範疇から離れたことに時々そこはかとない尊さを感じる。過去と未来は断続的で、ともすれば一方向に感じてしまうけれど、おそらく行ったり来たり登ったり降りたりしている。だからなのか、老夫婦の背中を見た時に幼な子を思ったりする。

 

8月22日

たまには健やかになれる言葉を、自分が素敵だと思えるような言葉を書き残せればなと思うんだけれども、やっぱり矢印は内へ向かってしまう。

僕の周りには幸い、明るくて器のデカい連中が多い。本当に幸いなことだ。彼らを見ていると根拠のない自信が僕の方にも押し寄せてくるし、幾分世界を肯定できるようになる。自意識と自己顕示欲と承認欲求から解放された彼らに憧れ、なれないからといって妬み、自分を苦しめる時期は一定の頻度でやってくるが、ゆっくり歳を重ねていこう。

 

「朝ご飯はバナナ一本と、コーヒーが一杯。アメリカーノな?」祖母の言った言葉尻が耳に残る。なぜアメリカーノをわざわざ知らせること必要があったのか。「な?」と言葉尻をあげたことで僕はどのような反応を示すことが正しい反応だったのだろうか。

 

『ナナメの夕暮れ』を読破した。大学一年の時に買い、読むとあまりにイライラしてしまう(似たような境遇や感覚が書かれ過ぎているので、自分自身の平凡さを突きつけられたような気がしていた)ので蓋をしていたこの本を、20歳になった今読んで良かった。「人生は合う人に会うこと」と言ってのけられるような葛藤や経験をしてきた彼の言葉をなるほど僕は素直に聞ける。

僕は「自分探し」をする必要のある人として生を受けてしまった。社会に何の疑問も持たず、筋の通っていないことも飲み込めるようなセンスの持ち主に生まれてこれなかった。常に疑問を持ち、立ち止まっている間に横を抜かしていく彼らを見て劣等感を抱き、劣等感なんて抱くなと言われ、自信持ちなさい、考えすぎ(笑)と言ってのける彼らに、腹が立って仕方がなかった。理解できないくせに超越した感じでマウント取った気になってんじゃあないよお、と。(いや、ほんまに人の気持ちに無理解な人は怖いよ)ただ、それでいい。それだからこそ、人の気持ちがよく分かってしまい、(分からないところももちろんたくさんあるが)嫌なところも見えてしまう。人の顔色を伺うし、人の顔色を伺えない人が苦手だ。その分、他人の良いところに触れて感激することも人より多いんだと思う。

合う人は少ないが、その中でも合う人を大切にしたい。合っていない人に頑張って分かってもらおうとすることもやめにしたい。疲れて損をするだけだから。ただ日々悩みながら、周りの人の人生センスに感激、嫉妬しながら、地道に生きていきたい。他の人と自分は何か決定的に違っているようで、本当はそれほど違わないこと。そしてその中に自分にしか出せないほんの微かな色彩があることを時間をかけて受け入れていく。分からないことは分からない。分かりそうなことは徹底的に調べて、知的好奇心の赴くままドライブする。(なんだ、今までやってきたことじゃないか!)自分を受け入れることと世界を肯定することはほとんど違わないらしい。私はあなたを肯定したい。こんな僕の遺伝子が、いつの日か役に立つ日もくるんだろう。例えば危機的状況の回避なんかに。やっぱり立ち止まる、ことって時には必要だもんな。こういう読点みたいなもんでさ。

 

憧れになろうとするのはやめた!憧れは憧れでしかない!承認される必要もそれほどない!蹴散らす勇気はないけれど、蹴散らされることへの恐怖心も持ち合わせていないから!-終-

 

P.S.これほどまでに読みながらにして"聞いてもらっている"ような感覚に陥る本もそうないだろう。聞いてもらう=理解してもらう=受け入れてもらうだ。自意識と自己顕示欲と承認欲求との戦闘を思春期に終了できず、だらだら連載を続けている主人公・オレの漫画を早く打ち切りにしてくれませんか。きついかぁ、だって若林とか星野源とか、40なってもやってはんねんもん。それが原動力みたいなとこもあんねやろし。身近な人に気を遣わせることや、外側からのジャッジを気にしすぎるという性質はほとんど同じと言い切っても良いほどだが、年齢が20以上離れているがために、人生を先回りして多くのことを教えてくれた。(そもそも芸能人の葛藤の次元は一般人の僕らのそれとは次元が違うので横並びで比較するつもりは毛頭ない。寧ろ一般人のそれはレベルが低いので、大は小を兼ねる理論で読んでいた。)40代に入ってもなお悩みは絶えなそうではあるから、今世はそういうもんなんでしょう。

ありのままの自分を、系の辛気臭いフレーズは一旦横に置かせてもらいます。それは向上心を見放すことの妥当性を認めることになっているから。自分の納得いく理想の自分(これがあるから劣等感も生まれてまうし、創造のモチベーションにもなってる)の二段下を目指します。