もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

日記⑩+④ (利便・快便、ご勘ベン)

9月15日

利便性が即豊かさでは無いし、自由は続か無い。新しい言葉は分断を、古い考えは軋轢を生むし、つまるところ好きなものでー

 

次々に新しいプロダクトなるものが生み出されるのにももはや疑問が立ち現れて来た。これ便利だろ?使った方がいいよ、あーそれ古い古いというクリエイターのパターナリズム的気概を察知してしまう。世の中を良くしたい、誰のために?もう十分よくなってへん?"消費を作られている"という感覚が結局は消費者から主体を奪い去って、その一方でマスに対する推進力だけはぐんぐん勢いを増していく。新しいものとは反対方向への力(VHSや写ルンです、Vaporwaveなどの流行)をまた商業に取り入れて、流行化を達成してはまるで写ルンですのように流行を'使い捨て'てる。

というようなことがもうここ十数年議論されていてるのに。一体、『我々はどこから来たのか我々は何者か我々はどこへ行くのか』。本当の意味で無意味な、空っぽに目を向ける必要がある、というようなことも言われている。もう全部言ってもうてますやん。ーだから、好きな人と好きなもので自分の周りを囲いたい。

 

9月16日

うとうとと意識が遠のいていた。記憶の最後のページは調布駅、目が覚めると明大前だった。目が覚めて、柱に隠れて「大前」しか見えない駅の表示でも瞬時に明大前だと分かる。足取りしっかりと井の頭線に乗り換え、下北に向かうことにとりあえずの意味付けを試みる。服が欲しいわけでも演劇をみたいわけでももちろん誰かと待ち合わせをしているわけでもない。外部に文句を言いながらも気怠く、歯車にもなれずただ容れ物として生きている感じ。どんな感じやねん?

街を歩く人の装いは長袖半袖入り混じっていた。古書店に入り、立ち読みをしていると20分くらいはあっという間に過ぎていていわゆる良心の呵責、本を一冊購入。『純粋の探求』という題名の本で、古本屋でないと出会わない本だな、と意味付け&納得。ほんでこれを読むための喫茶店やカフェを探しているけれど、どこもかしこもうるさそうやしなんかテーブルは汚そうやなとか思って入るのを躊躇して、商業ビルのエスカレーター脇にあるソファでこれを書いている。W.ジェームズが言うてた意識の流れってどんなものなのかなという疑問がふっと立ち現れては霧消してということが一日中繰り返されている。頭の中が厭にうるさい。結局コメダ珈琲店でかき氷を食べた。ラ・フランスの果肉は噛むとぎしぎしとした不思議な食感がある。いつもかき氷を食べる時、飲み物は温かいものを頼むという'形'があったのに、あまりに喉が渇いていたので慌ててアイスのカフェラテを頼んでしまった。7分後に後悔した。体がキンキンに冷えてやがる。ばたんきゅう。

 

10月2日

最近の腸の調子ときたらこの上なくて、空港で籠に乗せられた荷物が保安検査を通過してくるように臓器の中を通っては滞りなくすっと出てくる。

テレビやYouTubeで、いかに腸活が素晴らしいかを熱弁するぶりぶりモデルに可笑しさをまだ感じてしまう。うんちゃんええで〜こんもりでっせ〜。…いやいや待てよ、と。ええんか、と。そら快便いう言葉があるくらいから快いうんちゃんはありますよ。そりゃ。でもあなたがどんだけうんちゃんを気持ちよく出すか、こんもり出すか、定期的にこんもり出すか、ということにこだわって、苦心して、努力しているか、聞いていいんですか!

腸活がそんな狭義の、うんちゃんに特化した言葉でないのはわかってるつもりやけど、僕の中でうんちゃんはやっぱり爆裂に汚いものだ。そういう確固たる(かたいかゆるいかは置いといて)ものがあるので、頭の中はどうしてもこうなってしまうなあ。

それとほとんど同じ理屈で「便秘」という言葉にも敏感です。こんな話、誰が聞きたいねん!!