もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

気が付けば 達郎ユーミン 欲してる

長い長い歴史があって、固有の言葉があって、言葉にも歴史があって、大陸から様々なものを取り込みながらも独自に育んできた文化があって、それが未だに形として残っていて、実際に訪れて見て聞いて触れることができて、どの方角へも2時間も車を走らせれば海や山といった自然に触れることができて、いつでも先祖を感じることができて、それら全てを今後も守ろうという雰囲気が何となく漂っている、この素晴らしさに今気が付いた。

 

首里城が燃える映像がテレビから流れてきたとき、僕は自分が訪れたこともない(本当は2歳の時に行ったけど記憶がない)文化財の喪失に心を痛めることを知った。それはどこかに日本という連帯感があったからか、と思ったけれどウクライナの映像を見ていても似たようなものを感じた。

恐らくこの気持ちは物が失われることよりもむしろ、それを守ろうとしてきた歴史や人々の意志を一瞬のうちにむげにして、再起不能な状態に追いやる絶望感から来るものだと思う。

 

これからはそれらを守るためにできることがあるなら積極的にしていこうと思った。無くなってからではあまりに遅い。

 

僕らの中には、表現の豊富さ、表情の豊かさ、表出することの大変さとそれを超えてなお表されたものを慈しむ心がある。それは素敵なことだよ、と僕は信じてる。

日本語があるって本当に素晴らしいことだと思う、僕は感動している。日本語の詩が分かってよかった。日本語の息遣いが感じられてよかった。どうしても日本語でしか言えない・思えない・感じられないことがある。それは同じようにどの言語にもある。

 

YouTubeで達郎がおすすめに出てきては無意識にポチッと再生してしまう。朝目が覚めてイヤーワーム(耳にこびりついたように曲の同じ箇所が反復する)としてユーミンが離れない。Literally,リフレインが叫んでいる!僕は無意識のうちにプレッシャー下にあって、その防衛反応で達郎やユーミンを欲しているのか!?だとすればこれはなんというか、喜ばしいことに思える。海に沈みゆくお天道様を見て聴きたくなるのはカラッとした洋楽ではなくて"海を見ていた午後(One Afternoon By the Sea)"なんですよね。

 

はっぴいえんどの"空いろのくれよん"とかもグッとくるけど、この街には到底馴染まないから、どこか摩天楼の屋上で聴きたいな。他にも、バレーボウイズやキイチビール&ザ・ホーリーティッツを聴いて強く'日本'を感じるのを知った。