もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑦ 「もっとわすれる!」

1月1日

カウントダウンはばたばたで。3時間くらい眠って初日の出を見にドライブ。見られませんでした。

たくさんの美味しいご飯を食べて、お昼寝をして、ファーストラブの最終回を見て、また昼寝して、夜には少し散歩をしてからゆっくり寝た。ここでできる最高の正月。

 

1月2日

定期券にマンスリー分のお金をチャージしながらこれをするのも後2回か、と思ったお昼過ぎ、バイト前。

スリフトショップで目についた服に一つ懸念点が。だけど買いました。買うんだよ!日の光に晒すと前の持ち主が黒の服に緑の糸で補正した跡を発見!もう買ったよ!(儲かったよ!)

バイトを始めて一人で締めた。

22時から泥眠り。

 

1月3日

ちょうど一年前の今日、このブログの名前を「日記」から「やじるしにならって!」に変えた。当時の僕は心の中で渦巻く色々な感情を「やじるし」のように捉え(外向・内向)どこへ向くか、どれくらいの強さで動くかというものにひどく注意していた。僕の生活を推し進めるものも留まらせるものも全てこのやじるしな気がしていた。やじるしが発生すること自体を否定するのではなく、それに「ならって」沈む時は沈もう、留まる時は留まるべき時なんだと捉えよう、そういう気持ちでこの名前をつけた。このブログは当時も今も自分のやじるしを捉える百葉箱のように機能している。

果たして2022年、僕はこの言葉通りの1年を過ごすことができた。4月末からカナダで過ごし、常に新しいものが僕の胸を打った。1日として同じ日はなく、「こんな日々が続けばいいなぁ」なんて一息つく暇も、「こんな日々」では片付けることもできない散漫かつラブリーな日々があっという間に過ぎていった。

本当のところを言ってしまえば大学生活や就職活動からログアウトしたことで、自分の意欲に関わらず「しなければならないこと」がほとんど目の前に現れなかったことが大きな要因だと思う。したいことが、したいときにしたいやり方でできた。(かなりの不便も強いられたが)だけど、「やじるしになら」うことが難しかった僕にとってそういう時期を過ごせたこと自体が大きな意味を持つ!(言い聞かせだけでなく本当に)

ただ、そうして自分の感じたことを感じたままできるだけ肯定し続けた結果、どこにいて何をしていようが自分はどこまでも自分でしか無いことを再三思い知らされた。英語で誰かとコミュニケーションを取ろうが、知らない人の家で爆音の中お酒を飲み交わそうが、この自分、どうしようもないほどの自分性がすぐに顔を見せた。どうしてもうまくやれないことに目がいきがちで、時折突発的な強いやじるしに勝手に自分を動かされた。

人、天気、わけもなく突然、そうやっていとも簡単に変わってしまうような「自分」をなんとか自分に繋ぎ止めようと必死だった。必死にそれをしようとしている時、意識的かつ自覚的になっている時は程度に関わらず「自分」を失っていることと等しかった。

自分が「自分」を繋ぎ止めることを忘れられたのは何かに打ち込んでいる時だった。何かを書いている時。書く題材を考えている時。推敲している時。テーマに沿って自分でジャッジをしている時。そうやって熱中している間は我を忘れられた。我を忘れる時、逆説的だがそれはもっとも「自分」を思い出せる瞬間だと知った。

書く!考える!クリエイト!2022年、壊れない自分を見た。バランス感覚がかなり冴えている。体力は他人より格段に劣っている。俎上に乗せるべきは持続性よりも瞬発力と発想力だ。忍耐力よりも瞬間最大風速の探究力だ。今年は自分を諦めない!自分を知ることを諦めない!何事ももっと深く、見えなかったものが見えてくるまで掘る。そしてとにかく我を忘れて突っ走る瞬間を増やす!このどうしようもない自分の足りなさを諦められない、まだまだ邪な欲でぱんぱんの20代前半、自分を諦めるな!「もっとわすれる!」

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p.s. NewJeansの新しい2曲を聴いて、最初のうちは「デビュー作の4曲が良すぎたよね〜ぽりぽり。ちょっと地味だよね〜。」と抜かしていたのもものの2日。文字通りOMG、わからなくなってきた。すごくいい。スルメ。すごくいい。爆音で聴きたい。Dittoのベースのループと言い、OMGサビのドゥーン感。僕は果たしてこのドゥーン感にやられがちだ。