もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

現在地 2023.02.14

 ありもしない島へ到達する。真っ直ぐの道の途中で右に曲がる。それが僕の当面の到達点であるらしい。それらは文章にした時の文法的容易さに比べればかなり難しい代物である。

 僕はしばらくの間この島に両足をつけて立ってきた、そしてここへ来て出航を求められている。降り立つ島は自分で見つけるか、もし見つけることができなければ自分でつくれ、と言う。若いうちは沈んだって良いんだ、とさえ聞く。

 僕はこれまで辿ってきたポイントのいくつかを選び取って繋げて“道“としてきた。そこには意識的か無意識的か、「道理」のために蓋をされたポイントが無数のように存在する。目の前に道を想定したことはほとんどないと言って差し支えない。僕にとって生活とは主体性を伴う選択の集積というよりはむしろ、ふわふわとした浮遊物体の上に座って時折気流に流されながらもいつまでも飛行を続けてきたものの集合体である。そうしてある程度のポイントが集まった時にそれらを帰納的に“道“と呼ぶことはできても、そこに必ずしも自分の手が加えられているとは考えてこなかった。気流次第でどこへでも行く可能性があったのだ。

 ただ、どうやらここにきて僕は目の前の道をできるだけクリアに想定し、(建前上)自分自身で選ぶことが求められているようだ。正直言ってそんなことは毛頭、僕にとって畑違いのことである。ありもしない島をめがけて操縦法も知らない船に乗せられるようなものである。轍のできる道ならまだしも通った側から波へと変わる海の上。将来の自分が何を信じているかなんて分からない。(分かってたまるか、とさえ思う。)

 業績、周りからの評価、評価に見合った給料、家庭、マイホーム、車、週休2日、福利厚生。今、この今瞬間、僕に欲しいものは一つもない。本当に一つもない。時々Yogiboより心地良いと思える音楽に出会って、良い文章に胸を打たれて、気の合う人とゆっくり話す。時々誰かの真似で画像を切って貼ったり(コラージュのコラージュ)、文章を書いたり自由律俳句を考えたりして満足感に浸る。数時間悩み事を忘れさせてくれるラジオやテレビが週にいくつかある。

 目の前の自分の道を想定する時にも向こう側から配られたカードの中でしか選べないんだから、自分なんてそんな、とつい思ってしまう。だけど自分でお金を稼いで社会に何かを打ち出さなければならない。自分が望む消費財と同等の経済的価値を自分に付けなければならない。そうして生きていかねばならない。ただ何度も言うようだけど、今まで船の操縦法や島の場所を仔細に与えてきてくれていたのに突然何もないなんてのはオープンワールド過ぎるって。

 結局は与えられたものに疑問も持たず打ち込める人たちが“よく“生きられるようにデコレーションされている。定期テスト、取ったほうが良いとされている資格、スコア、そうやって誰かによって比べやすくされた土俵の上をまるで自分の主戦場だと思い込める人たちにどれほど社会は有利か。そう思えたらどれだけスムーズか。かく言う僕もなんの疑問も持たず打ち込める時ももちろんあって、だけど疑問を持った時には考えよう、解明しよう、この手で明らかにできたと思える地点までいってみようと思っている。彼らより時間は食うし、こうしたこと自体がもはや“生きづらい“人たちが考えがちなクリシェではあるけれど。自分の中で考えたんだという納得感の蓄積がいつかどこへ行くのも恐れない航海図のようになることを願って。2023.02.14 バレンタインデーに。