もっとわすれる!

面白かったテレビ・YouTubeについて書きます note▷ https://note.com/131_taka

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑤

柴田聡子のコンサートに行った。メロディの親しみやすさや、ノンバイナリーなワクワク感をまとっている割には知名度が「んー?」って感じでこれまでさみしい思いをしてきた。何よりこんなに曲が良いのに!

今夜、二時間、柴田聡子を好きな五百人くらいの人たちと、しっとりとした静けさの中でその歌に耳を傾けられてとても良かった!

セトリには好きな曲が並び大満足。(Synergy、後悔、雑感、ラッキーカラー、心の中の猫、友達、、、。)

今まで弾き語りコンサートはあまり好きじゃなかった。単調に感じられて、途中で飽きてくる自分に嫌気が差すから。別の考え事をし始める自分が、情けないし、何よりもったいない!と思っていた。今日のコンサートで、それでも良いと思った。柴田聡子はそういうアーティストだった。曲に記憶がよく絡まっている。コンサート中、曲を聴いてありありと浮かぶたくさんの記憶の中を浮遊して散歩した。

去年の冬、雪降るカナダの道、小径、ちょっとした森の中で、ザクっと雪のこわれる音を身体で感じながら聞いた曲々。当時感じていたこと、クリスマスが近付く時のあまりにも無防備な喜びやさみしさ。蘇った〜。特に、「雑感」はやばい。毎日のように16番のARBUTUSのバスで通ったSafewayのシリアルの並ぶaisleが蘇る。どこから来て、どこへ向かうのかも知らない同僚たちの顔が蘇る。

あまりの大雪にバスが動かず、Sea Busを使ってノースバンクーバーへ渡ったあの日、乗ったことのないバスの中で誰しもが何かの約束に遅刻している、約束など何も意味をなさない、雪のもとで人はとても平等だったあの日の、車窓に見えた雪かきおじさんの蛍光色のヤッケ。

またある日、一人で散歩をしたキツラノビーチの、ひっそりとした住宅街にあったカフェの壁の抽象画とか。その時の思い出がしっかりと蘇って、みんなの拍手でハッと我に返る。そういう時間だった。とっても良かった!

コンサート終演後、ドアからはすーっと冷気が入ってくる。ああ、きた、この冬がきた。夏の到来はわざとらしいが、冬の到来は空も灰色だったりして申し訳なさそうなのが良い。良い、良くない、とっても良い。とっておきの冬になる気がした。

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+④

くそー、調子が悪い。駅のエスカレーターで何も考えず左側に長蛇の列を作って右側をガラ空きにしている連中に腹が立つくらいに調子が悪い。歩きたいやつは階段を使えよ、僕は最近隣に階段がある場合には右側に立ったりする。ただし度胸はないのでいくらでも言い訳をケツポケットに忍ばせてから。(1)隣に階段がある。(2)後ろから人が来た場合には関西から帰ったばかりで無意識に右に立ってしまった人です、みたいな背中をする。(3)JRは先日まで立ち止まろうキャンペーンを行なっていた。とにかく旅先ののんびり感と東京のせかせか感、人の多さ加減は野球観戦と熱い緑茶の如く相性が悪い。

 

さて、毎月作っているプレイリストがあります。11月8日現在の楽曲をシェアハピします。

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‎Takaの2023.11 - Apple Music

 

p.s. どんな音楽が好きかという質問が難しい、というのは手垢がついた話。体系的に聞いたという意味で言えばロック、ということになるのだろうけど、全てのジャンルにおいてオタクが存在するのでその人たちには到底及ばない。から、ロック好きだというのもなんか違う感じがする。アニソンだって民謡だってAORだって、ヒップホップだって、フォークだって、アメリカのヒットチャートだって、二回以上聞きたいなと思えば二回以上聞く。いつの間にか好きな曲になっていたり飽きて、二回以上聞いたことを忘れたりもする。多分みんなもそうだと思う。

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+③ 風呂場にて

自分のことを「自分」だと思って生きてる人がぎょうさんおるって考えると、ゾッと、なんやゾッ、としてきます。それはちょうど美味しかった菓子パンの袋を仔細に見てみると、500kcalとなっていて、500kcal?!となるのと似ています。

ほとんど嘘のようなあの事実で得た悦びを思い出すボディソープの香りとかがある。

産毛を剃りシャワーで流す時、ああ、傷したんだなと気付く、私はいつまでも剃刀が下手だと、この産毛はいつまで生えつづけるのだろうか、健気に、なんかの気遣いのつもりだろうか。

気遣いの言葉の種類が違ったからって、それをことさらに取り立てて解剖して、元に戻している時に(ニッポンの社長の二本目を思い返しながら)、クソっ!ゴミ箱の配置を変えたのは自分だ!と思う。鍵がなかなか入らなかったり、傘が倒れたり、インスタントの味噌汁と長ネギの袋が頭上から落ちてきたり、買ったシャンプーは家へ着いてコンディショナーだと判明して、レシートはどこだ!返品だ!ゴミ箱の配置を変えたのは誰だ!お前か!そこに置いたのか、悔しい、美味しいスイーツでも買えば良かった。

もう少し思弁的にいこうぜ!と思う。文字化けした自分の顔を想像してスクワットをしたりしてさ、と思う。

次の美容室はいつにしようかと考えている時間は、筋トレ直後の膨らんだ身体を見ている時間くらい好き。

f:id:takaabgata:20231022223003j:imageそこかしこ光ってしゃあない

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+②要力上↑

かうして自分を消費しながら次のステップへ行くということがここのところの課題でせうな。

 

ジャンルへの愛は個へのリスペクトの欠如

 

ふと勤務中に聞いていたあいみょんのノット・オーケーを名曲だな、と思う。ステレオイヤホンの左だけ、少し小さめの音量で聴く

 

10月12日、今年初めて金木犀の匂いを嗅いだ。

 

最近買ったお気に入りのズボンが色落ちしてて結構落ち込む、返品交換の期間過ぎてるしレシートほったし、あーー誉めて伸ばそう、形が良いね、クソがなんでやねん

 

色落ちを楽しむ人になろうと努める、難しい!

色焼けしたカーキ色ズボンの色修正 | 茅野市・原村・富士見町:シミ抜きとクリーニングの専門店

三ヶ月、半年経ってもまだ気になったらここに持っていきます。

 

哲学なんか浅かれ深かれみんなが持ってるもので、それがニンに合っていないと格好つけてるだのイキってるだのこだわりが強いだの、難しい人だの言われるわけです

あとはそれを言葉にして脳に保管しておけるか、意志を持って保管しておくかというところに違いがあります

今、僕の哲学を一つ言うなら、友達は何よりのもの、会いたい時に「ひま?」と聞こう、です。

後、クールぶらなくて良い場所を一つこさえておきたい

 

川柳って字、一旦意味を排して見てみたら、画像やん。風景見えてしゃあないて

 

パワーアップせなあかん。ワンピースの3D2Y的な抜本的なパワーアップ

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+① 「ええもんできたーー!うれしーー!満足ー!!」

1年近く勤めていたバイト先へ挨拶に行った。まさか自分が「元バイト先に顔を出す奴」になるなんて思ってもみなかった。1年半ぶりに行ったけど当時一緒に働いていた女性のパートの方が今もいて、立ち話に付き合ってくれた。もう既におばさん、の年齢であるはずなのに相変わらずおばさん、が似合わない人だった。カナダから戻ったらまた働くんじゃなかったの、と言われて、なんだかこのまま天井に付いている棒で懸垂でも見せてやろうか、という気持ちになった。要は嬉しさと申し訳なさと、この場所を心の底では心地の良い職場だと感じていたんだなあ、という昔の自分によしよしする気持ち。今は大学生のバイトも二人いるらしい。(僕の働いていた時、学生は僕だけだった)フレッシュな女子大生が働いていた。知らない人たちも食べるであろうカナダのお土産を置いてきた。まさか自分が「娘さん今おいくつになったんですか?」と言うなんて思ってもみなかった。歓迎されてたことが嬉しくて、久しぶりに会ったことに緊張して、話し終わってから隣にあるユニクロで着ていたスウェットを脱いだ。

 

それから卒論指導へ。教授は頭が良くて(言うまでも無いが)、一言一句素早く返さねば、淀みなく、謬(あやまり)なく言葉を発さねばと焦ってしまう。ただ、あくせくしながらも歯車はなぜか段々合ってきて、いつも結局楽しい会合になる。卒論を格好良いスピードで書きたい。できれば色んなところへ旅へ行き、その先で書きたい。そうして色んな風景をこの中に閉じ込めたいと思う。

 

note.com

今日noteに投稿した自由律俳句集「あー、ここは本当に愛で溢れています」は、これまで一年半ほど続けてきた自由律俳句のある種の到達点かもしれない。平たく言えば、今日出せる100点を出せるような気がしながら、きちんと出したような感じ。

昨日美術館を訪れたこと、ゼミでは学生最後の発表を一人で行い、20人・40個の目に晒されながら頭を回したこと、夕方、昔のバイト先へ行った後に本屋で気になる対談を読んだこと、教授と卒論について話したこと、耳から聞いたこと、鼻で感じたこと、そういう全てを閉じ込め、飛躍さえした24句だと思う。

少し大袈裟だと思う。普通に言えば、「ええもんできたーー!うれしーー!満足ー!!」という気持ちで、投稿していつもはすぐに行うストーリーへのシェアを今回ばかりは少し遅らせようとしている。「誰かに言うと密かな計画は破綻する」とどこかで読んだことがある。誰かに伝えることで得る満足感が己の行動を抑止するのだ。それに似た気持ちである。自分の中で出た100点、やったー!という気持ちを誰かにシェアすることで、100点の域を出ない、あるいはそれを下回ってしまうような気がしている。シェアした途端、誰かからの反応の有無や誰かからの評価に少なからず軸が移行しかねないのが無念でならない。

 

今回投稿した自由律俳句の内容について話せば、これはいつものセオリーを少し逸脱している。今まで書いた800弱の句を全て読み返し、リアリスティックなもの、空想を交えたものとの両方を読んだ。自分はせきしろ氏を参考に自由律俳句を始めたので、彼の「空想は入れない」というモットーが知らないうちに僕の血にもなっていた。今回は自分が好きなものを、一度モットーを無視して、思うままに書いた。昨日行った印象派展の、〈アカデミックに反発する形で誕生した印象派〉の影響を受けたのかもしれない。大きなカンヴァスに、見えたものを見えたものとして描く(詠む)、を超え、見えたものを見たもの(ここでは僕)のタッチで詠む・見えたものを合気道のごとく受け流しながら詠む、ということができたのだと思う。これだけ語るとまた100点を超えないようになってしまう。このブログを投稿するのも少し後にしよう。

 

何かを作った時の感動は大勢の人と分かり合うものでは無かったりする。(哀しかったけどね)こうして嬉しい気持ちもいつか、近い未来に鎮かになることは分かってきた。では!一人で楽しもう!

 

P.S. 夕食後に見たYouTubeの対談、いきものがかり水野良樹と柴田聡子様様様様の対談の中で、「ひとり喜び」というワードが出た。これだ!

以下は10:57~部分の引用

柴田様「でもやっぱり一番楽しいのは(略)「いい曲ができそう!」みたいなそういう瞬間」

水野「予感がふわふわーっと来る」

柴田様様「そういうのありませんか?これヤバいぞ×2。これは絶対に決めるぞみたいな。そういう時は緊張してるけど、それはすごい楽しい」

水「(共感を示し)ひとり喜びの瞬間はありますよね。」

柴田様様様「ありますね」

み「ひとり興奮というか。」

youtu.be

 

ヒー!こういう人から出る曲がSynergyってすごいね。

Synergy

Synergy

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日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩

雨の休日、新大久保は最悪。傘をさす大勢の観光客、ギャル、kpop中高年の波は厚く。

 

遠くから届く秋の便り。

 

ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》、《グランド・ジャット島の日曜日の午後》はイルージョン。エポックメイキング。

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美術館へ二つ行った。今朝思いついたやつと、ずーっと行きたかったやつ。両方ほんまに行ってよかったーと呟きながらその場を後にした。

 

僕のテーマは〈共感〉もしくは〈今日感〉になっていく。そういうことを思いながらシャワーを浴びた。

 

アートは自分を能動的にしてくれるもの、クリエイティブにしてくれるものだと過去に書いた(「アート」を見つけにいこう - もっとわすれる!)

今日見た一つの絵が頭の中の想像力に反応して煙がむくむく立ち込めた。それから写真美術館でみた短編映画、あれには喰らった。〈略称・連続射殺魔〉というやつ。11/5までやっているから、もう一回行こうと思う。

 

ジムへも行った。へとへとになった身体全身で漕ぐ自転車はあまりに進まず、手で押して歩いて帰った。柴田聡子がいつかラジオの中で徒歩がちょうど良い、他は早すぎると言っていたことを思い出した。ゆーっくり歩いて、地に足つけて物事を見ずとも見よう。外を歩く時に、イヤホンで音楽を聴いたり、眼鏡をかけることも刺激が強くて1日ともたない。もっとぼーっとしよっと。

日記⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑩+⑨ 志賀直哉day

3日連続カネコアヤノグッズを電車で見た

 

なーーんにも予定がないから、昨日買ったズボンを買ってお散歩をした。キウイを買った。ゴールデン、グリーンじゃなくて!

自分の自由を得る為めには他人をかへりみまい。而して自分の自由を得んが為めに他人の自由を尊重しやう。(略)二つが矛盾すれば、他人の自由を圧しやうとしやう。(志賀直哉「日記」明治四五年三月一三日)

 

これはごっつい文章。

 

人間はー少なくとも自分は自分にあるものを生涯かヽつて掘り出せばいヽのだ。自分にあるものをmineする。これである。(志賀直哉「日記」明治四五年三月七日)

 

およそ1週間前の日記。"mineする。これである。" 言い回しおもろ。

 

自分は小説を作る為に生まれて来たのではない。小説は手段である。(略)

自分は日常の生活を書かうと思ふ。

自分はそれによつて日常の生活を高める事が出来。副産物として製作物を得、而して自己を今の自己より上げたい。(志賀直哉「未定稿145」大正五年五月一日)

日常を書く、それで日常の生活を高める。そうして生まれた製作物は自己を上げうる。ほー。

 

予定もない!退屈!誰か!助けてくれ!!!人に会わないと終わってる1日になる!ほんで今回の大会で初めてバレーとラグビー見たら両方負けたぞ!!

 

意味わからん遊びを開発しまくりたい、一日原っぱへ行って、ピクニックマット広げて、ほうきを遠くに飛ばしたり、フリスビーでラグビーしたり、したいなー。みんな、忙しいよなー

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